光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成30年5月

一行三昧会

鎌尾光栄

◇日 時:3月4日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:佐々木有一師
◇参加者:21名

急に暖かな日になり、馥郁とした梅の香がしています。今日は初めて参加の方がおられて嬉しく思います。1年半にわたり起行の用心をお読み下さりありがとうございました。

〈ご講話〉起行の用心 その18(完)弁栄聖者御道詠

 起行の用心について18回にわたり弁栄聖者や高弟の笹本戒浄上人、田中木叉上人などのお言葉を紹介しながらお話をして参りましたが今回で一区切りと致します。
 聖者は光明主義の御教えを御遺稿でお遺しになって下さいましたが、道詠集という形でもお教え下さっています。光明会本部聖堂の編纂委員会撰(1978)による光明主義一日一訓の日めくりカレンダーから見ていきたいと思います。およそ千四百首の御道詠の中から選択された31首は一歩一歩、念仏の深まりの道程の順に編集されているようです。紙面の都合上、数首を味読いたします。

1 人の世は 纜解きて ゆく舟の さし行く港 定めざらめや
 船を解纜し行く先を定めます。人生の船出です。

7 吹きすさむ 憂世の風は烈しくも じひのみむねの なかは安けき
 外は嵐でも如来の胸の裡は安らかで、本当はいつもそこにいるのです。

10 なんのかのと おもふもいふも 無益なり ただただたのむ 南無あみだ仏
 人の智慧は如来のお計らいには敵いません、ただ如来にお縋りしましょう。

11 親も子も またいもうとも はらからも 経のいともて ちぎりむすべよ
 念仏だけでなく経のいと(知識と行の両輪)で円満な念仏が成就されます。

17 わだつみも くみ盡すとの 勇ましき心に得たる まにの玉かな
 胸突き八丁であっても坂を登り切りなさいよ、とお励ましになっています。

22 ゆく末も 今も此まま 南無あみだ ほとけとともに 永遠のいのちぞ
 今から変わってゆくのですよ、円具教の光明主義では死後の未来ではなく生きている今から永遠のいのちに生きていくのです。

25 火にやかれ 鎚にうたれて くろがねも 世にめづらしき つるぎとはなる
 機根によるのではなく凡夫(くろがね)も万機普益で皆同じ処に行けます。

31 世を照らす 法の燈火 ゆく末に 伝へて慈父の 恩に報いむ
 自分が救われたなら、今度は教えの喜びを伝えていきなさいね。

起行の用心チャート(ひかり2017年4月号掲載)の絵解き
 衆生が念仏すると仏様が還して下さる、衆生念仏・仏還念をすべての出発点として、端正無比の相好を御名を通して念おえよ、とお念仏し阿弥陀様に帰依するといろいろな変化が起こります。不断光、難思光を受けながら五根五力が育ち、無称光で七覚支の境涯になると心眼が開け、そこに智慧光も加わって開示悟入の啓示を受けます。そうして、はては如来様との合一を完成してミオヤのお世嗣ぎとならせて頂けるのです。 

念仏と法話の会

志村 念覚

◇日 時:2月18日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:大南龍昇園主
◇参加者:20名

 光明園の咲きほころぶ梅の花に向春の穏やかな陽射しがさしこむなか、午前中はお念仏と礼拝儀を唱え、午後は大南園主から本年四月一七日に岩波書店から文庫本として出版される『人生の帰趣』についての御法話をいただきました。
岩波文庫『山崎弁栄著 人生の帰趣』について
 光明園前園主 故 河波定昌上人の最後のお仕事となりました岩波書店から出版される文庫本『山崎弁栄著 人生の帰趣』の経過をご報告いたします。
 本書の出版は河波先生と批評家若松英輔先生とのご親交の賜物でございました。若松先生の推薦を受け岩波書店編集局の鈴木康之氏が光明園を訪ねられたのは平成二七年、お二人の間で計画は進行、弁栄上人百回忌の記念事業の一環として、光明会理事長金田隆栄上人からも了承を得られました。
 当初は河波先生が校訂と解説、佛教大学藤堂俊英先生が注解を担当されることになっておりました。しかし、河波先生のご遷化により注解は藤堂先生、解説は若松先生、そして校正を大南が担当することに変更されました。但し校正作業の中で、本書の増補版との関係、成立過程の解説も必要となり解題を私が行うことになりました。
 遺稿集としての性格や大正期の出版事情を反映して校正上のさまざまな困難が生じ、予想外の時間が費やされました。そのため二九年度の出版が果たせず、本年四月一日の三回忌法要のご霊前にお供え、ご報告できなかったことを残念に存じております。尚、本書は本年四月十七日に刊行することができました。
 最後に本書が『人生の帰趣』という書名となった第一章の章題「人生の帰趣」の章頭に収録される法語を記し結びとします。

 ミオヤは私どもに日々のかて年々の衣物も天地の間にできるようにして私どもなる子どもに弁当を与え下さるのは五十年六十年間の人間という学校にて精神のうちに聖なる徳をやしないて私どもをミオヤのよつぎたるきよきみくににのぼることのできるようにとの目的によりてかてを与え給うのでありましよう 人間界は聖なるこころをやしなう学校でありますぞ

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