一行三昧会
鎌尾 光栄
◇日 時:9月2日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:佐々木有一
◇参加者:11名
台風の影響のためか少人数ではありましたが、光明主義もキリスト教も自由自在に行き来していた聖者のお姿が想像され有意義な会でした。ミサの行も念仏の行も同じであることが得心できたように思います。光明会に入会してすぐ翌月に訪れた手賀教会の風景を先輩の法友と俳句にしたり、昼食を振舞ってくださった河波上人の佇まいなど懐かしく、ありがたく思い出しました。
ご講話 弁栄聖者略伝④ 弁栄聖者とキリスト教(1)
弁栄聖者の「礼拝儀」を拝読致しますとキリスト教との関わりをうかがえるような内容や用語が多数あります。当時はまだ馴染みのなかったキリスト教の長所を聖者は早い段階で積極的に取り入れておられます。キリスト教の解禁が明治6年、早くも12年にはギリシャ正教の手賀教会が設立されました。弁栄聖者の生地、鷲野谷を含む手賀沼一帯とは、内陸地というよりも利根川の水運を介して外に開かれていて、各種の情報や世相が早く伝わる地域であり、手賀教会と聖者の生地、沼南町は1里(4キロメートル)に満たない近さでした。
聖者は明治のかなり早い時期にギリシャ正教を通じて、キリスト教に接したのではないかと思われます。西方教会ではなく東方教会に出会われたことが、弁栄聖者により近くイメージされるように思います。これは故河波定昌上人のご賛同を得たところでもあります。
平成23年に千葉県柏市で「山崎弁栄展」が開かれており、それを見学した際、思いがけなくギリシャ正教などで用いられるイコン(聖像画)が目につきました。同じ館内で常設されている柏市の文化財展示として飾られていたのです。「主全能者」(キリスト)、「至聖生神女」(マリア)、「機密の晩餐」を描いた精巧なレプリカで、原画は山下りん女史の作でした。その翌年、関東支部の有志で訪れた手賀教会にそのイコンがありました。
ギリシャ正教を日本に広めたのはロシアのニコライ大主教です。シベリア経由で函館に入りキリスト教の解禁を待ちながら、早くも明治5年には上京し布教の準備に入っています。そして日本各地への布教体制を整備しつつ、明治25年10月には布教巡回の途次、手賀を訪れています。この手賀教会と五香善光寺の間は直線では3里(12キロメートル)内外という近さでしたが、残念ながら聖者がニコライ大主教とお会いされたという記録はありません。
住宅地の中にある手賀教会は茅葺き屋根で、その壁に十字に区切られた洋風の窓があり、首都圏最古クラスの教会で市の文化財に指定されて現存しています。戦後、日常の礼拝は近くにある「新手賀教会堂」に移されました。訪れた当時、8世帯の信者さんがいて、定期的に神父さんが訪れて、130年以上の歳月を重ね信仰を守り続けていました。
弁栄聖者の光明主義の思想の特色は、単に大乗仏教の範囲にとどまらず哲学、科学、キリスト教まで視野に含んで統合的に展開せられた新しい浄土教哲学であることでしょう。科学については名古屋の人で明治32年に聖者に帰依された願行寺の角岡界倫師の存在が記されています。「思う所ありて東京で医学を修めしため、師の書架には医学書が蔵せられている。(弁栄)上人は生命に関する生理的方面の攻究も以前より熱心であって、いつもこの寺に巡錫されても、小閑あれば医学書を読み、時々師に問わるることの微を穿っているのに師は驚いた」(『日本の光』426頁)。同書には医学以外の自然科学についても読書、知識の広いこともこの文章のあとに叙述されています。
西洋哲学についても聖者の論考にかなり幅広く言及されており、当時の哲学知識の流入にも大きな関心を払っておられたことが推察されます。
「如来光明礼拝儀」に使われている完徳、愛、霊応などの多くの表現はキリスト教抜きでは考えられないことでしょう。そういう個々の類似の例ばかりでなく、聖者にとっては阿弥陀仏など仏教内部の諸尊はもとよりキリスト教の神までも含めて、実体は同一で呼び名だけを異にする「同体異名」の存在とみておられたことが最も重要なことであります。聖者に帰依したキリスト教の牧師に対して「キリスト教も仏教も別のものではありません」と説かれています(同195頁)。聖者にとってはキリスト教も仏教も少しの隔たりもなかったのです。また聖者は同志社の創立者新島襄氏と会見されたことがあります。氏は少年結縁の大切さを強調されたということです(同241頁)。
藤堂恭俊上人の『弁栄聖者』には興味深い記事があります。聖者が東漸寺で出家されて、東京遊学に出られる前のこととして、したがって21~22歳の頃でありますが「よく寺にやってくる牧師に、日ごろ無口な聖者が応待に出てキリスト教の急所をついて、相手を解答に困らせた」とあります(同36頁)。聖者は明治14年、上京、大谷良胤老師から『往生論註』、『唯識論述記』、『倶舎論』等の講義をきかれました。そしてこの大谷老師が「ロシア大司教ニコライに請われるままに仏典の講義を行った」という記述があります(同37頁)。聖者との間で何らかの話題があったとしても不思議ではなさそうです。
次回は光明主義にとっても大切な「霊性」の理解について、西方教会と東方教会を通して見ていきたいと思います。
念仏と法話の会
志村 念覚
◇日 時:9月23日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:大南龍昇園主
◇参加者:20名
秋晴れの過ごしやすい秋分の日の一日でした。今日の秋彼岸にちなみ「お彼岸―幸せの探求―」という演題で釈尊・法然上人・弁栄聖者の説く「幸せ」をテーマにご法話をいただきました。
お彼岸 ―幸せの探求―
- はじめに
- 九月十三日・十四日と二日間に亘って京都の佛教大学で実施されました平成三十年度浄土宗総合学術大会の大会テーマは「お念佛からはじまる幸せ―開宗のこころ・凡入報土―」でした。これは六年後の二〇二四年に迎える浄土宗開宗八五〇年のキャッチコピーでもあります。本日はお彼岸でありますが、この「幸せ」というテーマについて釈尊、法然上人、弁栄聖者の御教えをたどり、わたくしたちの目指す彼岸への思いを新たにしたいと思います。
- 一 「幸福を呼ぶもの」 (こよなき幸せ)
- 釈尊は「幸せ」について南伝仏教経典である『スッタニパータ』(経集の意)の第二章「小さき章」第四経「幸福を呼ぶもの」二五八~二六九節において、富豪アナータピンディカの園(祇園)で天人からなされた「何が幸福を呼ぶのか」という問いに次のように答えています。(『スッタニパータ(釈尊のことば)』荒牧典俊・本庄良文・榎本文雄訳 講談社学術文庫から引用)
「賢者と交わること」、「厳しく自己を制御していること」、「博識、技術、礼儀、能弁」、「父母に尽くし、妻子を養うこと」、「施し、教えの実践、親類縁者の庇護」、「悪を離れ、酒を飲まず、教えを実現しようと邁進すること」、「尊敬、謙虚、無欲、義理堅さ、時に応じて法を聞くこと」、「忍耐、温和、沙門にまみえる、時に応じて真理についての論議に花咲かすこと」、「真の苦行、清浄な禁欲生活(梵行)、尊い真実(聖諦)の直観、涅槃の体得」、「苦楽、得失、毀誉褒貶(ほめることと、けなすこと。さまざまな評判)を被っても心が乱れず、嘆きなく、濁りなく、安閑としていること」をあげて、これらを実行し尽くせば、向かうところ敵なく、どこにあっても幸せを得る。これが幸福を呼ぶもののうちでも極めつきのものであると説いています。これらはまさにお彼岸の教えで重視される大乗仏教の「六波羅蜜」(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の各波羅蜜)の実践につながるものであり、生活の中に仏教の理想が実現することを説いているのです。 - 二 お念仏からはじまる幸せ ―開宗のこころ・凡入報土―
- 「はじめに」に記した学術大会のシンポジウムにおいて、パネリストの佛教大学教授、本庄良文師は、法然上人の浄土宗別立の意義について凡入報土を宗旨とする浄土宗を確立したことであり善導の釈義の再解釈であるとして、現世利益的な「しあわせ」を完全肯定も完全否定もしない立場であると説明しています。「しあわせ」を得るために念仏を称えることは拒絶されますが、念仏を称えることで自然に得られる(不求自得)「しあわせ」は拒絶されないというのが宗祖の立場であるというのです。
念仏の利益について善導大師は『観念法門』において五種増上縁として現益(現世の利益)に滅罪増上縁(罪を滅するはたらき)、護念増上縁(守護し延命させるはたらき)、見仏三昧増上縁(仏や浄土を見せるはたらき)の三を、当益(往生に当たっての利益)に摂生増上縁(衆生を救済するはたらき)、証生増上縁(往生の証拠となるはたらき)の二を説いています。
宗祖法然上人は念仏の利益について『選択集』では念仏利益を「乃至一念せん。当に知るべし、此の人、大利を得とす。則ち是れ無上功徳なり。」と念仏を一度称えるだけでも無上の功徳があると説き、念仏による三縁(阿弥陀仏と衆生との身口意三業が離れない親縁、衆生が願えば阿弥陀仏を近くに見る近縁、念仏すれば滅罪・来迎(往生)を得、悪業の障害が無くなる増上縁)を説いています。また『逆修説法』三七日には如来の光明について清浄光(持戒清浄の人と等しくするはたらき)、歓喜光(忍辱の人と等しくするはたらき)、智慧光(智者と等しくするはたらき)と光明の利益を説き、『一百四十五箇条問答』(第一三九問答)には現世の祈りについて心を至し実をはげんで仏につかえれば現世の願いが叶い来世も往生できると説いています。また祈りには必ずしるし(効果)が伴うもので「しるしなしは、わが心をはずべし」と教えています。 - 三 光明の生活 (『人生の帰趣』より)
- 弁栄聖者は『人生の帰趣』において、「如来の光明被むりて信心開発すればこの身の上にはかわりし事これ無く候えども心の奥底に最霊なる光明の照すありて心は広くゆたかにして常に法悦の楽みを感じ申候。かくの如きの心の状態に相成候ことを光明生活と申候。」(岩波文庫『人生の帰趣』三三六頁)と、幸せは大ミオヤの光明により霊性が育てられる光明の生活によって実現することを説いています。この光明を太陽の光りとに比例して三方面より光明の作用を説明しています。すなわち太陽の光というと物理学では光線と熱線と化学線との三つの能力に分けるように如来の光明も三種に分けて智慧と慈悲と威神とを以てその作用を説明できると説いています(同 三四一頁)。
このように弥陀の光明を被り心霊復活する時は心が弥陀の慈悲に充されて霊妙な感応によって身心全体が弥陀の霊徳に充されることから眼根耳根さらには身の全体が弥陀の霊徳の容れ物となり法喜と禅悦にみちあふれ充されるのが悦予の相として現われるのです。また弥陀の光明に反映した徳が姿色清浄の相として現われます。弥陀の威神力が精神統一の力となって私たちの精神が引き締まって来るから光顔巍々と現れ威厳が備わるのです。これが釈尊自身が、我等衆生がミオヤの光明を被れば器の大小にかかわらず分相応に被る光明をもって生活活動の上に現すことが出来るという人格的模範を示されたのです(同 三四六頁)。 - おわりに
- 彼岸とは、亡き霊や祖先を思うとともに、今を生きる私たちがその生活をかえりみて思いを新たにし、後の世をも思うひとときを過ごす日でもありましょう。ミオヤの光明による霊性のお育てを感謝して日々お念仏に励む光明生活こそ、幸せへの道であることをかえりみたいと思います。
第42回大巌寺別時念仏会
佐藤 蓮洋
◇日 時:9月15日(土)~16日(日)
◇会 場:檀林龍澤山大巌寺
◇法 話:藤本浄彦上人
◇参加者:15日は56人、16日は60名
大巌寺の庭の満開の芙蓉の花と秋の虫の音とともにお念仏を称えるお別時となりました。
今年も大巌寺幼稚園および慈光保育園の先生方のお世話をいただきながら、豊かな時を過ごしました。2日目の昼休みには、昨年開設された大巌寺宝物殿をご住職の長谷川匡俊上人のご案内で見学させていただきました。今年は、ミニ企画展として「奥羽の念仏聖無能上人の生涯」が展示されており、江戸時代中期に、一日に念仏を六万遍以上称えられた念仏聖と時を超えて出遭うことができたのも何かのご縁かな、と思いました。
お導師の藤本浄彦上人は、三年連続で「『如来光明礼拝式』を読む」と題して、「如来光明歎徳章と十二光仏」を中心のご法話でした。ご法話といただいたレジュメを参考にまとめさせていただきました。
藤本上人のご法話から
大事なお別時の一瞬一瞬を皆さんと味わって過ごしたい。「お念仏からはじまる幸せ」を世に問うことの大事さもありますが、お念仏の積み重ねがあるからこそ蘇ってくることについて、一人ひとり問うていくことも大切です。
経済的・物質的な価値観のみが突出して、「物で栄えて心で滅ぶ」と警告され続けてきた。いまだにその警告に無関心であり続ける。それは児童虐待数に現れ(昨年の総件数は13万3千余、前年度から1万1千余件が増加)ているが、この現状は社会的・行政的な問題より以上に現代日本における宗教情操教育の欠如ではないか?
私たちは仏となる可能性(仏性)をもっている。しかし、この素晴らしい価値をもっていることを話題にしない時代ともいえる。“悪”はなぜ生起するのか。それは、私たちの心が自分勝手な「貪瞋痴の煩悩」に振り回されてしまい、凡夫である自分の力ではどうすることもできないからである。ではどうすればよいのか?阿弥陀仏の智慧と慈悲の力(本願力)を拠り所として(南無する)、「身に振る舞い、口に言い、心に思うこと、みなまことの心を具すべきなり」(法然)の生き方を心がけることであり、それは宗教的情操教育の重要性を強調することである。
身口意の三業に塗れ振り回されている凡夫には「心に念じること」は難しい行であるから自ら“発声”することによって「心に念じること」に連なる易しい行となるのであり、口業(声にはっすること)が基となる口称の念仏の重要性と根拠があるわけです。「声に発することによって思いが定まり身体の在りようが整う」という日常体験を思い起こしましょう。
南無阿弥陀仏と称えるのは、阿弥陀様への呼びかけであり、呼びかけるにはマナー(心得と作法)が必要です。道場に入ったら作法をすることによって気持ちを整え、阿弥陀様とむかいあって、安心していることができる。そして、阿弥陀様が私たちのためにお便りを発信されていることを受け止めていき、阿弥陀様(あなた)と私が一緒になっていくことが大事です。マルチン・ブーバーが『我と汝』という本で、「我とあなたという世界は、お互いが信じて、任せあえること。これを愛という。」「我とそれ(三人称)の関係は、孤独であり、三人称の世界がたくさんあっても愛がない」と述べている。阿弥陀仏(あなた)と私の関係を、一声一声を通して深めてゆく体験をしていくことが重要です。
阿弥陀様はどのような仏様か。『無量寿経』には、法蔵という名の出家者が、四十八の願を実現するために修行をした。願の実現のためには行動と実践がある。そして仏に成った、その名前が阿弥陀仏。歴史上のゴータマ・ブッタも仏になり、悟りを得たということは、私たちにも、仏になる可能性があるということです。ただ、人として生まれてきたことをいいかげんにしてきたのではないか? 初めにお話をした虐待の現実をみると、私たちに何が大切かを教えているのではないか、それに気づくことが大切なのではないか。 貪瞋痴を満たす願であれば、本来の願の実現は難しい。本当の平等、幸せ、自由とは何か?
先日、浄土宗総合学術大会で基調講演をしましたが、山崎弁栄と椎尾弁匡の二人の念仏のとらえ方をふまえていくしか方策はないのではないか・・・ということを強調しました。二人は17歳違い、弁匡上人は弁栄上人の亡くなった2年後に共生運動をはじめている。時間のずれをみると、想像だが、椎尾は弁栄の光明会活動をご存知であったであろうと思う。弁匡上人の著作の中に「別時念仏をつとめ、自己陶酔に陥る。念仏をつとめることが現実の生活になっているのか」という言葉がある。別時に参加したことだけを自慢することは戒めて、別時念仏―特別の場所、特別の時間―が平生の生活の中にどのように生かされているのか、が大事なことになるのではないか。念仏のひと時、その体験、ありがたい・・・その先に何が期待されているのか、一人一人みえてこないといけない。
弁栄上人の御教えの中で、とりわけ十二光仏が大事です。往生浄土の教えとは違う、という言われ方もするが、それをどのようにつないでいくのか・・・。『無量寿経』の「光明歎徳章」に十二光仏があり、曇鸞は『讃阿弥陀仏偈』において称号の付せられる理由と各々の徳用を讃嘆している。善導は『往生礼讃偈』の中の日没礼讃偈の割注で「称名礼拝相続して不断なれば現世に無量功徳を得、命終の後に定んで往生することを得」と述べ、現世の功徳に触れている。加えて『無量寿経』の十二光仏説示の経文を上げ、『観経』の摂益文(「光明?照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」)と関係させて受領している。源信も『往生要集』において十二光仏に触れている。法然上人は『逆修説法』の三七の項で、名号の功徳をとき、その中で、「名号の中に光明と寿命の二義を備えたり」という。無量光仏については、『観経』第九観「真身観文」と関連させており、清浄光仏、歓喜光、智慧光についても説いている。
それでは、弁栄上人の十二光仏の特性はといえば、礼拝儀のコアになっていることにある。『仏教要理問答』(明治34年刊)や『如来光明讃の頌』(大正4年頃刊)では十二光を体系的に説示している。それは四層からなる重層として整理される。
無量光と無量寿の2光は総説であり、阿弥陀仏体が語られる。
無辺(衆知の知見を明かす)・無碍(解脱し自由とす)・無対(大般涅槃に証入す)・焔王(一切の障り除こりぬ)と云い、仏の光明を受け止め浴びていく姿がある。救済の消極的な方向といえる。
清浄(姿色も自ずと潤るれ)・歓喜(喜楽極なく感ずなり)・智慧(如来の真理悟入るれ)・不断(聖意現す身とはなる)の4光は、念仏する「我ら」がそのような身に成っていく(生成)という救済の積極的方面といえる。
難思・無称・超日月の3光は、きわめて宗教的・信仰的な実存の深みの現実態であり、「心の曄?とは成りぬ」「聖き心によみがえる」「光の中に生活す身」へと更生する(成っていく)事実態であり、これは悦びの中の悦びといえようか。光明による摂化育成の深みの実現=霊化といえよう。
阿弥陀仏の十二光明による“お育て”以外の何物でもない。つまり、本願の口称念仏をすることによって光明の働きをシャワーのごとく浴びることがもたらす“お育て”である。十二光それぞれで完結するとともに階梯的に深まりゆく念仏の味わいをもたらすことを三昧発得といってもよかろうか。これは、念仏を申していく人の道しるべ、一人ひとりの羅針盤となるものであり、画一的ではないのです。
最後になりますが、私達は阿弥陀様のお育てをシャワーのように浴びて「“こころ”の洗濯」をさせていただいているのです。「人として」の生き方をしっかり歩む、加えてそれぞれが社会に貢献する仕事に従事するにあたって“いつもイソイソ働く手足・いつもニコニコ明るい笑顔・いつもハキハキ優しいことば”を身に着けて、“明るく・正しく・仲良く”過ごすことを意識したいと思います。地位、僧・俗などに関係なく、阿弥陀様の前では、どなたにも、何かの呼びかけがあり、心の底にみ光を受け取ることができます。別時が別時で終わるのではなく、これからの日常の生活の中に生かしていってください。 十念
その後、修了式があり、永野徳恵様(慈光保育園・前園長)から「“いつもイソイソ働く手足・いつもニコニコ明るい笑顔・いつもハキハキ優しいことば”これを身に着けていきたいと思います。また、阿弥陀様のお名前の意味を聞いて、心に響くことがありました。お名前を毎日称えて子供と一緒に保育に精進していきたいと思います。」と感謝の言葉が述べられました。
最後に長谷川住職より「大変お忙しい藤本上人をお導師に迎え、別時念仏会を大切にしていただいた2日間でした。研修は知識ですが、研修と修養の二つが織りなす環境が大切であり、心をどのようにつくるか、という点では、別時のような実践が伴わないと修養にならないだろうなと思います。また来年もご参集ください。」と結ばれました。