一行三昧会
志村 念覚
◇日 時:7月7日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:志村念覚師
◇参加者:20名
今年は弁栄聖者百回忌にあたり五月十一日から十三日に光明学園相模原高等学校で実施された百回忌記念行事では、光明園並びに関東支部の皆様のお力添えがあったからこそ実現できたものと心より感謝申し上げます。
弁栄聖者は百年前の大正九年十二月四日に新潟県柏崎の極楽寺さまでご遷化なされました。三年前に前園主の河波定昌上人がご遷化された平成二十八年四月の翌五月十二日に柏崎の極楽寺に大南龍昇園主とともに訪れました。大南園主のお父様の瀬高宗尊上人は極楽寺住職籠島順故上人の奥様籠島咲子夫人の親戚の縁で住職の弟子となり、弁栄聖者から得度を受け僧籍に入られたご縁があることから弁栄聖者の墓参りとともに籠島順故上人咲子夫人の墓参が訪問の目的でした。その折に、弁栄聖者がご遷化された当時の様子を極楽寺住職籠島浩恵上人の奥様籠島明子様が祖母の籠島咲子様から実際に伝え聞いたというお話しをお伺いしました。
その話の内容は、弁栄聖者がご遷化されたとき、二体の菩薩さまが現われるとともに妙なる音楽とよい香りがしたというのです。そしてこのことは籠島咲子様と親しかった原酒造四代目原吉郎氏の奥様原トミ様も一緒に同じ体験をされたというのです。本年四月二十日に光明園で行われた念仏と法話の会に、原酒造の原トミ様の曾孫にあたる奥津峰子様がお越しになり、原トミ様から譲り受けたという弁栄聖者が着用されていた光明念珠を光明園にご寄贈くださいました。その際に、まったく同じ弁栄聖者のご遷化のときの内容の話しを聞いていること。そして記録に残されているものを読んだこともあるということも奥津峰子様から伺いました。その記録は残念ながら現在は見つからないそうですが、三年前に聞いた籠島明子様の話しを裏付けることとなり大変なご縁を感じました。お恥ずかしいのですが、この聖者来迎のことをお聞きしたときに、ひとつ心に引っ掛かるものがありました。それは菩薩様二体だけでなく如来さまを加えた三体で迎えに来られなかったのかということでした。弁栄聖者百回忌の行事のときに、愛知県碧南市法城寺住職の石川乗願上人にそのことをお話ししましたら、「弁栄聖者は仏様なのだから菩薩様二体でお迎えに来られ、三体で還られたのでしょう。」と、あっさりと積年の疑問が解決したのでした。弁栄聖者百回忌の記念の年に際して、聖者の御霊格をあらためて伺い知ることができる出来事でした。聖者のお念珠をご寄贈くださいました奥津峰子様に心から感謝し、聖者ご遷化のエピソードを含めご紹介させていただきました。