第十二回光明園別時念仏会・弁栄聖者 報恩念仏会(関東支部後援)
佐藤 蓮洋
◇日 時:11月14日(土)9時~17時30分、11月15日(日) 9時~17時
◇会 場:光明園
◇参加者:14日 21名 15日 19名
快晴の2日間、弁栄聖者報恩念仏会でもある光明園別時が開催されました。コロナ禍のため感染拡大への予防をとりましたが、当日参加の方が増えたこともあり、開催中に急遽本堂の襖を外すなどの追加対策もとられました。
14日は、午前中は念仏、聖歌「清浄光」、午後は開会式・伊藤代表役員(関東支部支部長)のご挨拶、聖歌「聖きみくに」の後に、加藤神父のご講話・質疑応答がありました。
15日は、午前中は念仏、聖歌「念仏七覚支」、山上上人のご法話があり、午後には山上上人のご法話・質疑応答そして閉会式があり、最後に聖歌「のりのいと」をお称えし解散となりました。解散後の念仏会にも、午後7時まで、有志として7名の方が参加しました。
運営等は新役員である鍵和田上人(維那)、炭屋上人(司会進行)、小西さん(大木魚)、伴奏(岩下さん、遠藤さん)、講師送迎・接待(佐倉さん、森井さん他)、参加者世話係(芥川さん他)、ひかりの原稿作成(花輪さん〔次号掲載〕、佐藤)を分担しました。
伊藤代表役員(関東支部長)から、開会式では講師お二人のご親交の中で、時間を忘れて熱心にお話をいただく姿が『日本の光』に書かれている弁栄聖者と重なるというお話がありました。また最後の閉会式では、質疑応答時間に、講師お二人の互いに呼応するしみじみした心からの対話に感動されたこと、および光明園の念仏道場としての在り方についてあらためて指針を頂いた旨のお礼の言葉がありました。そして、「お念仏が生かされるような、そんな生活ができるようでありたいと願っています。」と結ばれました。
加藤神父ご講話
【筆記者、文責:佐藤蓮洋 ご講話と配布されたレジュメをもとにまとめました】
「御縁に従ってカトリックのミサを行じさせていただく時、そこに弁栄聖者がおられる」―「カトリックと弁栄聖者の普遍性」
- 〈ヨーロッパにおける東洋との出遇い〉
- カトリック司祭の加藤と申します。今日は、弁栄聖者との「御縁」についてお話をさせていただきます。
母が熱心なお念仏者であったことは、以前、お話をさせていただく機会がありましたが、私は英国に渡り、オクスフォード大学カトリック神学部に学び、英国国教会の司祭になりました(2011年に日本の母の看取りのため当時のローマ教皇ベネディクト16世の許可を得て、英国国教会から日本のカトリック教会に司祭として移籍させていただき現在に至っています。この間、母をお浄土に送りました)。ここにもってきております写真をご覧になっていただくとお分かりになると思いますが、一つはローマにある、カトリックの総本山・ローマ様式のバチカン大聖堂(写真①)です。もう一つは英国にある、カトリックの大本山・ギリシャ様式のロンドン大聖堂(写真②)ですが、二つの聖堂を比べていただければ違いは歴然としています。
ヨーロッパは同じと思われている方も多いのですが、実はローマを精神的な故郷と考える人(フランス・スペイン・イタリア等)と、ギリシャを精神的な故郷と考える人(英国・北欧・ギリシャ等)とあり、同じヨーロッパといっても、決して一つではないのです。私は英国に行くまで、そのことを知りませんでした。ローマは本当に大きな存在ですが、言語的にもギリシャからみれば孫のようなものですし、ギリシャがヨーロッパ全体の精神的故郷といっても間違いではありません。それではギリシャとは何か。私は西洋を求めて英国まで行きましたが、実はギリシャはなんと東洋だったのです。本当に驚きました。
実際、西洋ではギリシャから日本までが、オリエント(東洋)と理解されています。東洋の西の果てがギリシャ、そして東の果てがかつては中国、今は日本ということです。確かにギリシャは西洋文化の基盤となる存在ですが、あくまでギリシャは東洋なのです。そのギリシャ様式の大聖堂(大本山)を持つ英国のカトリックも、東洋を志向する(オリエンテーション、即ち「東(洋)を向く」)宗教でした。私は、東洋人として全く新しい自己理解を求められ、自分とは一体何なのか、と自分自身への問い直しをせざるをえませんでした。 - 〈弁栄聖者との御縁〉
- お念仏のご縁は母からすでにいただいていたとも言えます。母は、台所で料理をしながら、縫物をしながらいつも静かにお念仏を称えていました。そして「法然上人は懐かしい人」と言っていました。800年前に亡くなられた法然上人ですが、「お念仏すれば遇えます」と言い、私は、母はどういう世界に生きているんだろうと、子供心に驚いた経験があります。お念仏で遇えるのだ・・・と、不思議な世界があることを知りました。母は、田舎のおばあさんでしたが、法然上人のお姿は母の幻想ではなく、内面的に確かな真実であったのです。
私は英国でカトリック司祭となりましたが、大学でも教えておりました。そのとき、ミサの時間を惜しんで、大学に関わり、智者の振る舞いに終始した私の愚かさゆえに、何がなんだかわからなくなるという事態になりました。その時、母のお念仏に思い至り、ご縁をいただいた藤本淨彦先生にお手紙を書き、日本に遇いに行きました。藤本上人からは「折角ご縁をいただいているカトリックの「行」であるミサにもう一度還り、それに徹底してみなさい」と諭されました。そして、河波上人を紹介され、後に上人とお遇いさせていただきました。その時河波上人は、「カトリックの司祭としてミサの行に徹することによって、弁栄聖者を顕彰していただきたい。念仏かミサかという「行」の区別ではなく、「一向の行」によって「分別智」を超えた「無分別智」の境涯に心を向けなさい。弁栄聖者はそこに、「無分別智」の境涯におられるから」とお諭しいただきました。お二人により、「三昧発得」の人・弁栄聖者にご縁をいただきました。それは、霊性において東洋の西の果てギリシャを志向する英国にいるカトリックの神父として、東洋の東の果てにおられる日本の弁栄聖者を讃仰し、師事させていただくご縁をいただいたことでもありました。 - 〈神・仏が目の前に立ち上がる―ミサとお念仏―〉
- 藤本上人、河波上人のお二人に「行」に立ち還らせていただきました。カトリックは、アウグスティヌスを経由してプロティヌスによって開示されたギリシャ神秘哲学(テオリア/神との対面の希求)の実践「観照・観照的生」を「ミサ一行」に特定し・相続する霊性の伝統です。カトリックの「一行」はミサであり、そのミサの中で体験されている世界は、「ただ独りなる神の前に、人間がただ独り立つ」(プロティヌス)ことに始まる「観照道」(テオリア・見神)です。そこに立ち現れてくる神・生起する神・キリスト体験の核心であるキリストのアナムネシス(想起・現存)は『般舟三昧経』の「般舟(仏現前立)」をおもわせますが、それはカトリック的「三昧発得」・「依(神の国)正(神)二報の荘厳の現前」の体験そのものであります。
聖書は、ミサの体験をロゴス化したものであり、その教義が大切なことにはかわりありません。が、その教義が固定化したり、分別の世界によって絶対に正しいと思われることは、きわめて危険なことであることも確かです。教団の存在は教義を固定して信義を護るというものではなくて、行によって神の世界に私達を導いていくことが要となるものです。ミサに求められるのは、私達の存在が破られていくことであり、私達を新たにしていくことなのです。ミサはキリストと十二弟子たちとの「最後の晩餐」を典礼的に記念する「行」であり、パンをキリストの肉(からだ)とし、葡萄酒をキリストの血とする、象徴的な形(カトリックでは秘跡(サクラメント)的と言います)でのキリストとの出遇いが中心となります。ですから聖書はその出遇いの体験を照合するものであり、カトリック神学はその体験を制約するものではなく、その体験を点検するために必要となるものです。 - 〈両親からのメッセージ―神仏に遇い、人間に成っていく〉
- 母は田舎のおばあさんでしたが、法然上人に帰依し、お念仏によって生かされていました。前にお話したように、私が行き詰まった時、智者の振る舞いは決して人を救うものではなく、ただ一向に念仏する、そういう母の境涯に近づきたいと思うようになりました。そして若い時に、母からお念仏をいただいていること、そしてお念仏するためにこの体(からだ)をいただいていることに気づかされました。
私が英国で神父になる時の両親のことばは忘れられません。母は聖書も読んだことはありませんでしたが、「ご縁をいただいた神様に心からお仕えなさい。それが一番大切なことですよ」と。父は、「神父になるために英国に留学させたのではない」と最初は怒っていましたが、「ただよくよく考えると、お前のようないいかげんなバカ息子に、ご縁を結んで、哀れみをもって救ってやりたいと思うキリストさんという神様がおられるのか。その方はただ者ではないな。心して仕えた方がいい」と言いました。これは冗談でも笑い話でもありません。(笑)父は、自分が一番えらいと思っている、高慢ちきな息子が心配だったんです。そして「お前もこれで人間になれるな」と言ったのです。ご縁をいただいて神や仏に仕えることで、人間が人間に成っていくのでしょうね。確かに、両親から人間として生まれてきましたが、親父の目から見ると、私は人間ではなかった。神・仏に遇うことで、人間になっていく。そこまでが、親の務めであり、やっと中途半端な私がなんとか人間になれると、安心したかもしれないですね。そこまで思ってくれるのは親しかいないでしょうが、きっと弁栄聖者の仰せのミオヤも同じですね。親父には申し訳ないという気持ちもありますが、今は神様に心からお仕えして、命を全うしたいと思います。 - 〈母のお念仏に導かれ、弁栄聖者にお遇いする〉
- なぜ、カトリックの神父がそこまで弁栄聖者をお慕い申すのか、なぜ、弁栄聖者でなくてはならないのか?それは、「弁栄聖者は三昧発得の人」だからです。法然上人も善導大師に帰依しましたが、その理由は「善導大師はこれ三昧発得の人なり」と答えられています。
私の母にお念仏をさせていらっしゃった方は法然上人であり、お念仏とともに法然上人が眼前に立ち上がり、法然上人に遭わせていただいている。母から学んだことは、お念仏(行)とは、尊い方・懐かしい方に今、ここで遇わせていただく道であるということ。そのような母の教えを、人類の普遍的霊性史の上に開示してくださった方が弁栄聖者なのです。
神仏に遇わなければ人になれない。だからこそ、確実に神仏にお遇いされている方がいるのであれば、まず、その方に私達は遇っていかなければならない。法然上人は、善導大師に遇わなければいけなかった。私にとっては、遇わなければいけない方、その方が弁栄聖者でした。今、私は皆さんに感謝をしています。皆さんがいらっしゃらなければ、弁栄聖者はしばらく埋もれてしまっていたかもしれません。皆さんがいらっしゃらなくても何十年後には、必ず弁栄聖者は現れてくださると思いますが、それでは遅い。今、私が弁栄聖者にお遇いできるのは、皆さんのおかげです。 - 〈むすび〉
- 私は、プロティヌスを通して「見神」の道へ、さらにカトリックのミサへ導かれました。その後の過程で行き詰まりを感じ、藤本上人そして河波上人の出遇いを経て、ミサ一行に徹することにより弁栄聖者と出遇うご縁をいただきました。そして、「東洋」の伝統、つまり「行(瞑想・観想・三昧)」の実践とそれに依る「神仏との対面」体験の重厚な伝統へと回帰させていただきました。日本から西洋へと大きく迂回した私の航海は、最後に弁栄聖者との御縁を得て、終に錨を下ろすべき場所を得させていただきました。私は、この大きく迂回した私の旅は無駄であったとは思いません。むしろ、弁栄聖者の体現された「東洋」の普遍性とその超弩級のスケールを理解させていただくためには、私にこの旅は必然であったと、今にして思います。神仏からいただいた弁栄聖者との尊いご縁に、改めて感謝申し上げます。「御縁に従ってカトリックのミサを行じさせていただく時、そこに弁栄聖者がおられる」。合掌。同唱十念