コロナ禍ではありましたが、感染予防を徹底し、7月23日(土)と24日(日)1泊2日の親子別時を開催しました。2年間の中止を余儀なくされましたが、開催会場である弁栄聖者創立の光明学園相模原高等学校のご好意をいただき、無事に閉会を迎えることができました。
参加者は、一般20名(大人16名、子供4名)、学園関係12名(教員3名、理科研究部6名、卒業生3名)、途中で学園卒業生の飛び入り参加もあり、マスクを着用しての、賑やか別時になりました。年齢は、6歳から90代。
- ◆一日目
- 開会式では、伊藤旭栄先生の司会により、伊藤関東支部長、山上上人(島根県 向西寺ご住職)、天野校長先生のご挨拶をいただき、遠藤さんの伴奏で「聖きみくに」を合唱しました。その後、山上光俊上人のご法話をいただき、次は、森井明攝尼の指導のもと、数珠づくりをおこないました。今年は透明な玉にピンクの玉が加わり、涼し気な数珠が完成しました。完成した方から、他の教室を借りて、ひかり誌に掲載されている写仏のコピーに色鉛筆で彩色をしました。童心に戻って、皆さん楽しみながら素敵な絵が完成しました。
夕方は、昏暮の礼拝(導師:山上光俊上人、維那:森井明攝尼)、聖歌「清浄光」(伴奏:遠藤由起さん)をお称えしました。
夕食後は、伝統の「献灯式」。暗闇のなか、阿弥陀様が浮かび上がり、一人一人がロウソクのみ光を捧げ、祈りを捧げました。関東支部役員が揃って、「聖きみくに」を合唱し、仏前の灯が揺れ、明るさが増す中、荘厳で麗しく清々しい雰囲気が広がっていきました。
最後は、広く間隔をとりながら、自己紹介をしていただきました。おばあちゃん・息子・孫、おばあちゃん・孫、父と息子、母と娘・・・親子別時にふさわしい紹介がなされ、初めて参加の学生さんからは驚きの声が上がり、来年の参加を楽しみにしているとの嬉しい声も聴くことができました。 - ◆二日目
- 6時起床。6時30分からラジオ体操を行い、その後、無量光寺に向かいました。青空と快い風に吹かれながら到着。本堂で山上上人のお導師でお念仏をお称えしました。本堂を吹き抜ける風はお浄土からの訪れのように清々しく感じられました。その後、一遍上人、弁栄聖者、戒浄上人のお墓にお参りしました。山上上人のお言葉とその口調から、弁栄聖者の面影を心より慕われているお上人の感動が伝わってくるようでした。
朝食後は、晨朝の礼拝、聖歌「諸根悦予讃」をお称えしました。その後は子供と大人向けのご法話をいただきました。(ご法話の内容は、別途記載)子供は他の教室に移動。「安全に、楽しく、仲間と助け合いながら」を合い言葉に、昆虫のビデオ鑑賞、塗り絵、教室の机とイスを障害物に見立てた冒険ごっこをしました。元気いっぱい、パワフルな1時間はアッという間に終わりました。
昼食後にアンケートを回収し、閉会式を行いました。伊藤支部長、山上上人からお話をいただき、聖歌「のりのいと」を全員で合唱。最後に写真撮影をおこない、2日間の相模原親子別時の幕を閉めました。
参加された皆様、ご協力をいただきました光明学園の先生および学生の皆様、本当にありがとうございました。また来年もお会いできることを楽しみにしています。お元気で。 - アンケート(一部紹介)
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- たのしかったです。ともだちもできたのしかったです。(小学2年生)
- 3年間高校生活を過ごした光明学園で、再びお念仏の機会をいただきました。光明の教えにより得た力、そして如来さまが結んでくださった仏縁によってできた仲間を大切に精進いたします。
- 親子別時三年ぶりで懐かしいメンバーにお会いできてうれしかったです。
- 弁栄聖者の偉業に改めて感激感動致しました。山上上人様のご法話に残された人生にプラスになるように精進致します。
- 今回、初めての参加。仏教には全く興味がなかったのですが、みなさん真剣に向き合っているのを見て、少し興味を持ちました。
(記:佐藤蓮洋)
山上上人のご法話
まとめ:花輪智之
- ①子供向け
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- 中国の『杜子春』のお話
- 杜子春は老人の指示により、大判小判の大金を発見しては、使い果たすという日々を繰り返していたが、やがて嫌気が差して、老人(仙人)に妖術を授けてくれるよう懇願する。仙人はたとえ地獄のような光景が目の前に繰り広げられても沈黙を守るよう杜子春に約束させ、修行に取り組みさせた。杜子春は厳しい修行に励んだが、父母が責め苦に会う光景を前にして思わず声を掛けてしまう。結局、杜子春は仙人になれなかったが、畑を耕し平穏な生涯を終えることができた(もし、父母に声を掛けなければ、仙人は杜子春を殺すつもりでいた)
- 現在のお話
- お手伝いをした子供が母親に送った手紙の内容は、自分がお手伝いした作業の一つ一つに値付けをした請求書であった。それに対して母親が送った返事には、事細やかに子供にしてあげた事が列挙されていたが、ことごとく値付けをしていなかった。(ゼロ円の請求書)
- 大切なこと
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人間はお互いの愛で結ばれているように、目に見えないものでつながっている。仏様もその目に見えないものの一つである。その仏様は御光で私達をお照らしになり、苦しい心も明るい心に変えて下さる。仏様の御光に照らされる私達の有様を田中木叉上人は次のような言葉で表現している。
〈田中木叉上人のお言葉〉
いつもニコニコ明るい笑顔
いつもハキハキ優しい言葉
いつもイソイソ働く手足
仏様の御光に感謝し、この言葉を胸に日々を生きて行きましょう。来年、またこの言葉を唱和し、これからの一年でどれくらい自分が変わったのかを実感しましょう。
- ②大人向け
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- マインドフルネス
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近年、マインドフルネスは日本の企業でも取り組まれるようになっている。マインドフルネスでは仏教の念(サティ)に着目し、ありのままに注意をはらうことによって、幸せになっていくことを目的としている。
呼吸法としては、長い時間、息を吐いて、すっと息を吸うことを通して、気持ちを落ち着かせる事(調息)が基本である。 - 木叉上人による念のご指導
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南無:ナームーで息を吐いて、心をささげる
阿弥陀仏:アーミーダーブーで息を吸って、光明をいただく
そして、そこに念い(仏想いの心)を重ねる(名体不離)
法然上人は「われはただほとけにいつかあふひくさ こころのつまにかけぬ日ぞなき」の御道詠のごとく、称名にアミダ様念いの心を重ねていた。弁栄聖者は大ミオヤ(アミダ様)が母が子を念うごとき存在であることをお説きになった。 - 念仏による気づき
- 例えば、血管は全長10万kmであり、4つの塩基の組み合わせによる60兆の遺伝子により構成されてるような人体の不思議を前にして、自分が生きているというよりも大自然大宇宙の中で自分が生かされているという思いを抱くようになっていく。また、小腸が2日、胃が5日、筋肉・肝臓が3カ月等6~7年かけて人体の細胞は入れ替わるが、死んでも終わらない命(無常)があることをお釈迦様はお説きになっている。念仏しているとそういう事実が実感としてわかってくる。
- アミダ様は慈しみの存在
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私達が苦しい時に御名をお称えすれば、アミダ様は御光をもって応えて下さる。いつも微笑んでいるアミダ様の聖容を念い、笑顔でいると周りの人が明るくなり、生活に大きな変化をもたらす。
また、アミダ様を念い、褒め合うことや相手の話をよく聞くことによっても相手が変わってくる。(山上上人が教誨師として関わったある受刑者は、上人の傾聴により、心を開き念仏に導かれ、妻への感謝をいだくようになった)
同体大悲の愛のように、変化するものの中で変化しないもの、目には見えないけど私達の根柢にあるものを求めていく事が大切である。仏教では、深層心理であるマナ識、アラヤ識の奥底にアンマラ識という不生不滅の実在があることを教えている。 - アミダ様の御光
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アミダ様は全宇宙に光を放ち続けており、聖容の白毫相から念仏の衆生を強い光で照らして下さり、その御光により一人ひとりの心を変えて下さる。
明治天皇のお歌のお相手であった税所敦子さんは熱心な念仏者であったが、日頃から苛めを受けている姑から「鬼婆なりと人の言ふらむ」という下句に上句をつけるよう命じられた。それに対して敦子さんは「仏にも似たる心と知らずして 鬼婆なりと人の言ふらむ」と句を完成し、姑を感動させて、結構なお方へと一変させた。
朝夕にお念仏をしていると心が強く正しく明るく変わってくる。その心の指導者であるアミダ様は目に見えないけれども真実在であることを知らしめて下さったのが弁栄聖者であった。
光明主義は単なる宗教・宗派にとらわれない真理の教えであり、その弁栄聖者が設立した光明学園は貴重な存在である。