光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 令和5年6月

光明園 4月の報告

佐藤 蓮洋

◎2日(日)は一行三昧会を開催し、10名参加いただきました。午前中は、晨朝の礼拝、お念仏、聖歌「不断光」を、午後はお念仏、聖歌「姿色清浄讃」をお称えしました。
 翌日の4月3日は河波定昌上人の命日にあたるため、京都からご参加いただきましたお嬢様の光子さんとともに、ご回向をさせていただきました。
◎16日(日)は「念仏会と講話」、9名の参加をいただきました。午前中は、お念仏、晨朝の礼拝、聖歌「諸根悦予讃」を、午後は聖歌「念仏七覚支」、お念仏をお称えしました。その後、講師の花輪さんからお話をいただきました。


◇講話         花輪 智之
 前回の講話では弁栄聖者晩年のご講話から釈尊の境界に到る仏道を学んだが、今回は霊的人格の完成について深堀する。

1 遮情と表徳
 仏教には凡夫が迷情をはらい無自性・空の境界となることを理想とする消極方面(遮情)と本具の功徳(真実の自性である如来の万徳)を表顕する積極方面(表徳)の二方面の教えがある。光明主義は遮情と表徳の両面を完全円満に包摂する大ミオヤの万徳(十二光の統一態)を真実在として、真実在の現象に即し真実在の常恒不変である形式を含む内容と円満に合一する表徳門と言える。
 光明主義の表徳の行法は大ミオヤの万徳の絶対表現(絶対的現象)である聖容に即し活きたミオヤを信楽(仰信・愛慕)して一心に念仏(憶念)し、憶念による絶対中心(平等一切に遍在し、一切を統一し、一切を終局目的である真実の自性へと摂取する大ミオヤの本質内容)との親密な関係を以ってミオヤの御育てを蒙り、全徳を我がものとして頂き(内容的合一)、聖意を体現することにある。
 特に従来の宗教がほのかに予想しつつも明らかにしえなかった性徳である無対光(超在一神的汎神である大ミオヤの自境界、内容的合一により一切衆生をして弥陀即一切諸仏の絶対的同体不二(無対)に摂取する絶対的威力)が真実の表徳を実現せしめる核心であろう。
2 三相五徳
 弁栄聖者は教祖釈尊の円満なる霊格(光明摂化の終局目的を表現する霊的人格の完成態)である三相五徳を基に感覚と知情意の四方面を円満に完成させる光化の心相をお説きになっている。
 三相を霊格の表相として、①諸根悦予(感情)、②姿色清浄(感覚)、③光顔巍々(智慧と意志)をお説きになり、五徳を霊格の内容として、①世尊住奇特法(感覚)、②世雄住諸仏所住(感情)、③世眼住導師行(智慧)、④世英住最勝道(意志)、⑤天尊行如来徳(万徳円満)をお説きになった。聖歌『諸根悦予讃』においては大ミオヤと交わす心情が念弥陀三昧(恩寵による甚深なるミオヤの内容との感応融合)の中心となり、そこから霊格の表相と内容が感覚と知情意の四方面で円かに展開する様子がうかがえる。
 凡夫が無明の虜となる迷情をはらい、ミオヤの大我(なか)に安住する心情の深まり(無対光を核とする表徳の光化)を支えるのは炎王光を核とする遮情の光化であろう。木叉上人が「炎王光が大変ありがたい」とお説きになったように、無対光と円融である炎王光のお育てを疎かにしてはならないであろう。炎王光が三垢を消滅する炎は私たちの心の中で燃え上がり、ミオヤをお慕い申す愛の炎ともなり、大ミオヤの寿を活きる生命の炎ともなるであろう。

 弥陀の慈愛は永しえに 天と地とに充満てり
 三まやの床に融合うて 悦予極み無りけり
(聖歌『諸根悦予讃』)

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