◎一行三昧会は8月6日(日)に開催。参加者は8名でした。午前9時から午後3時までの間、お念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「如来讃」「念仏七覚支」」)、昏暮の礼拝をお称えしました。
◎念仏と講話の会は8月20日(日)に開催。参加者は9名でした。午前9時から正午までの間、お念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「念仏三昧」)をお称えし、午後からは聖歌(「光顔巍々讃」)に続き講師の花輪さんからお話をいただきました。
(記:佐藤蓮洋)
講話(8月) 花輪智之
前回の講話に引き続き、今回の講話では、感情の信仰(愛念)について深堀する。
- 1 宗教の中心真髄としての「親縁」と「愛念」
- 大ミオヤの恩寵には①親縁(恩寵の中心真髄、ミオヤの形式を含む内容との感応融合)、②近縁(仏知見開示による形式的合一)、③増上縁(感覚と意志の解脱霊化による内容的合一)の三縁がある。信仰心意の内容として、三縁のうち、①に愛念(情)、②に信念(知)、③に欲念(意)の三心を相応することで、大ミオヤと衆生の関係が親密になり、神人合一する。
特に親縁と愛念(感情の信仰)との感応(「情」のお育て)の深まりを中心真髄として、近縁と信念(知力の信仰)との感応(「知」のお育て)および増上縁と欲念(意志の信仰)との感応(「感覚」と「意」のお育て)の深まりが円融に展開する。これにより、霊的感覚の開花から霊的意志活動の結実へと霊的人格(心情・情操)のお育てが深まる。 - 2 「融合」と「安住」
- 感情の信仰(愛念)の階梯(「帰命」、「融合」、「安住(安立)」)のうち、「帰命」は難思光(五根五力)、「融合」は無称光(七覚支)、「安住」は無称光(七覚支)以降の行儀門に相当しており、特に「融合」は真応身が衆生の信念に報いて、衆生の心想中に発現する霊応身により霊育を被る他受用に相当し、「安住」は分相応に真応身(大ミオヤが衆生に感応する面)と合一し、大ミオヤの絶対的真実心(真実の自性)による恩寵の啓示が絶え間ない自受用に相当する。
無称光(七覚支)の定覚支の満位で仏眼が開かれたところから自受用が始まり、捨覚支、念覚支では他受用と自受用が混交し、超日月光で自受用が絶え間ないものとなり、聖意を体現する身分(分相応に真実の自己である大ミオヤの自内証と一体)となる。経に即して言えば、『観経』の「心想仏時」が「是心作仏」(融合)から「是心是仏」(安住)へと円環的に深まり、『大経』(上巻)の最後に描かれたように「日月よりも明曜」な光(超日月光)の展開として、無量の衆生の「仏の正道に於いて各各安立」(聖意を体現する諸仏としての各各安住)が実現する。
『礼拝儀(至心に勧請す)』では聖者の「心宮」と衆生の「心殿」が区別されているが、用語自体の出所と思われる『大日経開題』(弘法大師著)の「自心宮」(本宮である一大自覚態の自内証である無尽荘厳の中で安住する心)、「心殿」(一大自覚態の化他により無明が除かれ真実の自内証が開かれる心)でなぞるならば、「心宮」は衆生の心の奥底で、本より主客未分で真応身が働く場であり、それを自覚し「安住」(自受用)が絶え間ない超日月光の境界、「心殿」は真応身が心想中に発現する客体(霊応身)により霊育を被る場であり、「融合」(他受用)にある無称光の境界と考えられるであろう。
「如来の大我に帰命せば、神秘融合最妙に、恩寵の中に安住す・・・菩薩の他受法楽と仏陀の自受法楽は如来歓喜の光明が隋類受用に外ならじ」(『如来光明讃の頌(歓喜光)』)