光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 令和5年11月

光明園9月の報告

◎一行三昧会は9月3日(日)に開催。参加者は9名でした。午前9時から午後3時までの間、お念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「清浄光」「姿色清浄讃」)、昏暮の礼拝をお称えしました。
◎念仏と講話の会は9月17日(日)に開催。参加者は8名でした。午前9時から正午までの間、お念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「心田田植歌」)をお称えし、午後からは聖歌(「光顔巍々讃」)に続き講師の花輪さんからお話をいただきました。(記:佐藤)

講話(9月)

花輪智之

 今回の講話では、前回の講話に引き続き形式的合一と内容的合一を深堀する。

一、絶対理性と絶対感性
 弁栄聖者は、宗教の中心真髄である衆生の愛念に感応する大ミオヤの恩寵として神人合一(形式を含む内容との融合)と親密なる因縁(親縁)を重ね合わせており、そこから円融に展開する形式的合一(衆生と大ミオヤが不可離となり、仏知見開示による知のお育てを蒙る近縁の面)を絶対理性(形式動機)の開発、内容的合一(衆生が大ミオヤの内容聖意と相応し解脱霊化による感性意志のお育てを蒙る増上縁の面)を絶対感性(内容動機)による内容同化と呼んでいる。
 特に、聖者は「大ミオヤとの宗教関係の致一(神人合一)は理性を覚るのみにあらず、感性の内容同化により、大ミオヤの聖意内容と相応し、終局目的に参与して、始めて真実の致一となるべし、理感二性を全うして円満なる宗教意識なり」と教示されている。
二、絶対平等性と四大智慧
 弁栄聖者はご遺稿「炎王光」、「無量光寿」等で十二光が生産門(自然現象)で展開する時は一切能(無礙光)が本より表面に出て一切知(無辺光)の方は潜伏状態となり、摂取門(心霊現象)で展開する時は一切知(無辺光)によって一切能(無礙光)を導く事、生産門の中にある衆生においては一切能による本能的衝動(自己保存)が無明であり、それが我執の元になる事をお説きになっている。
 摂取門を導く一切知の根底は四大智慧の各方面で働く絶対平等性の三義(①相対差別万性の根柢、②相対差別万法の統一摂理、③一切生命の終局目的への帰趣)であり、一切能を表面とする十二光の全面を通じて大ミオヤの絶対的な差別内容を展開し、一切衆生を摂取する。絶対平等性は十界を発現すると同時に十界の相対的因縁因果の中にある一切衆生の信念に感応して終局である大ミオヤとの真実かつ永遠の親子関係(聖きみくに、弥陀即一切諸仏としての無住処涅槃、超日月光)に摂取する相対的因縁因果の本因(大ミオヤの自境界としての自性清浄涅槃、無対光)である。
 また、絶対平等性のうち、①は報身如来蔵性(十二光の統一態)、②は如来蔵性の絶対理性の面、③は如来蔵性の絶対感性の面と関連しており、特に、②の絶対理性の面と円満に融合した③の絶対感性の面が顕在化し、①の如来蔵性の内容が重々無尽に顕現する所が摂取門の要となる。摂取門で一切能と円融に働く報身四大智慧の本願力(終局に向けた絶対平等性の展開)により、「聖き啓示を被りて(平等性智、絶対理性の展開)、三摩耶の窓し開くれば(妙観察智、如来蔵性による感応融合)、清きみ天は朗らかに(大円鏡智、如来蔵性の遍照)、常世のみ国現われぬ(成所作智、絶対感性の展開)」(聖歌『聖きみくに』)。殊に、妙観察智が神人合一の要となり、理感二性を調和し、如来蔵性の内容を個々へ展開する所を聖者は「宗教としては、斯の智慧の範囲が最も広くて最も深い」と教示されている。
 「『聖きみくに』をマンダラで頂くだけでは勿体ない。四大智慧で頂け。昔は大衆の未開の時代ではマンダラだけでもよかった。現代人には適合しない。四智の内容として頂け」(木叉上人)
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