光明園10月の報告
◎一行三昧会は10月1日(日)に開催。参加者は11名でした。午前9時から午後3時までの間、お念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「心田田植歌」)、昏暮の礼拝をお称えしました。
◎念仏と講話の会は10月15日(日)に開催。参加者は10名でした。午前9時から正午までの間、お念仏、晨朝の礼拝をお称えし、午後からは聖歌(「如来讃」)に続き講師の花輪さんからお話をいただきました。(記:佐藤)
講話(10月) 花輪智之
今回の講話では、前回の講話に引き続き絶対平等性と理感二性を深堀する。
- 1 絶対平等性を本因とする終局の展開
- 弁栄聖者は摂取門の根底である絶対平等性(大ミオヤの自境界としての自性清浄涅槃、無対光)の三義として、①相対差別万性の根柢(十二光の統一態である如来蔵性の面)、②相対差別万法の統一摂理(仏知見を開示する如来蔵性の絶対理性の面)、③一切生命の終局目的への帰趣(感性意志を解脱霊化する如来蔵性の絶対感性の面)をお説きになった。
絶対平等性は十界を発現する本因(十界の一切を産み、自らのふところに抱き育む大ミオヤの親心)として十界の相対的因縁因果の中にある一切衆生を親密なる因縁(衆生の信愛の念を因とし、大ミオヤの恩寵を縁とする神人合一)により、大ミオヤとの真実かつ永遠の親子関係である終局の境界である「無為泥洹の境には(諸仏と等しき覚位、弥陀即一切諸仏としての無住処涅槃、超日月光)、長閑さ有無を離れにき(2で後述する理感二性を完うする現象即実在の中道)、大悲心に薫じてぞ(十界を我が身とする同体大悲の体現)、分身利物の極なけむ(四大智慧全体を挙げた妙観察智を衆生済度の我が観音力として重々無尽に発現)」(聖歌『聖きみくに』)に摂取する。 - 2 絶対平等性による理感二性の中道
- 終局に向けた絶対平等性による如来蔵性の絶対的差別内容の展開は行儀門(難思光、無称光、超日月光)を通じて、理感二性の中道の深まりとなる。
難思光は、理感二性が未展開の状態での中道(信心喚起として十二光の統一態が衆生に理感二性が未分化な状態のまま真正面で接触する)であり、
無称光は、理感二性が円融なお育てによる中道(十二光の各方面で理感二性がメリハリを以って分化しつつ円融な関係を以って衆生を摂化する、理性の形式的面を真空、感性の内容的面を妙有とする中道)となり、
超日月光では、理感二性を全うする現象即実在の中道(理感二性が円満に調和した大ミオヤの衆生済度の現象態と分相応に合一して活動する念々に即して絶対平等性を三昧直観し、理感二性が円満に調和した常住不変の真実在である大ミオヤの本質内容と深く合一する、差別現象(妙有)の一つひとつを通じて、大ミオヤの本質内容の一切が不変の真実(真空)である事実を認識していく(中道))となる。
見不見に関わらず、難思光の段階からいつも真正面に在す大ミオヤをお慕い申し、自らの信念で念い上げる大ミオヤの御姿に即して常住不変の聖容(無縁大悲のまなざし)に心を注ぐ(十二光の統一態に真正面で触れる)事は、超日月光で常住不変の真実在(大ミオヤの本質内容)と合一する終局に直結し、行儀門の各段階での理感二性の中道を実現していく事に通じる。
「弥陀の悲願力、無衰無変にして湛然として常なり…悲智双行法爾として常なり」(『法事讃』善導大師)
「報身、化を兼ねてともに来りて手を授く…果をもって因に応ず、ゆえに名づけて報となす。…すべて化に帰して摂す。いまかの弥陀は現にこれ報なり。…報身は常住にして永く生滅なし」(『観経疏』善導大師)
第十五回光明園別時念仏会 弁栄聖者報恩念仏会(関東支部後援)
日時:十一月十九日(日) 九時~十七時
会場:光明園 参加者:十二名
秋らしい好天のもと、第十五回光明園別時念仏会が開催されました。今年も一日の開催ではありましたが、遠くは長崎からの参加者もあり、密度の濃い会となりました。
午前中は念仏、晨朝の礼拝、聖歌「念仏七覚支」、花輪智之講師のご講話(後述)、午後は念仏、加藤智神父のご講話(後述)・質疑応答、最後に聖歌「きよきみくに」を合唱し解散となりました。その後は午後七時半まで有志の方の念仏会となりました。
運営等は、佐藤師(司会進行)、維那(小西師)、大木(花輪さん、田代)、伴奏(遠藤さん)、全体運営(佐藤師)で行いました。
開会式では、伊藤代表役員(関東支部長)から、講師お二人について、ご紹介がありました。花輪師は、来月の光明園の初代園主でもある田中木叉上人五十回忌の遺文集に尽力されたこと、加藤神父は、重篤なご病気から回復され、今また本国である英国に近いうちに帰国される前の貴重な時間をいただいての講話であるとお話がありました。
【花輪講師のお話】 「「観」と「見」」(まとめは花輪講師)
- 1 「観」と「見」
- 弁栄聖者は『宗祖の皮髄』において、観経の第九真身観の経文を引いて「仏身を見る者は仏心を見る」と表現しており、元の経文である”仏身を「観」る”を”仏身を「見」る”に置き換えている。『観経疏』において、善導大師は上記の経文を引く際に、弁栄聖者と同様、”仏身を「見」る”としており、生きた如来様にお遇いした自らの三昧体験を「見」と表現している。
「観」は如来様の御姿のパーツを一つひとつ順々に想像し精神統一することで、三昧心を養う手立てとすることであり、「見」は如来様にお遇いしたいと、聖容を念い上げる仏念いの心に、如来様が生きた聖容をもってお宿り下さることに相当する。今現に此処に在す如来様に見ている実感が「見」という言葉に表されているのであろう。 - 2 念仏三昧の深意
- 善導大師は『観経疏』において、『観経』の第九真身観の「光明徧照十方世界念仏衆生摂取不捨」の一文に対する釈意で、光明は十方世界を徧く照らしているのに、なぜ念仏する衆生のみを摂取するのかという問いに、三縁(親縁、近縁、増上縁)として展開する本願力の功徳を説いている。特に、親縁の処で「衆生仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念したまふ」と説き、衆生の仏念いの心を因とし、如来の大悲を縁とする因縁和合により、仏を見立てまつる近縁、仏みづから迎接したもう増上縁が展開することを説いている。そして、その直後で『無量寿経』『阿弥陀経』『観無量寿経』を「ただもっぱら名号を念じて生ずる」という本願の一句におさめ、念仏三昧の功徳を讃えている。
その上で、「いまだ目の前に証せずといへども、ただまさに憶想して心眼をして見立てまつらしむべし。」と指南しているのは、善導大師が般舟三昧の宗教体験(真正面に在します如来様の聖容を憶念し、心眼で生きた如来様に見える)の中で、「わが名を念ぜよ」との如来大悲の召喚の意を実感してのことであろう。善導大師は自らの三昧体験を拠り所として、衆生と如来が親密に因縁を和合する念仏三昧の深意を説いている。
三昧発得後の法然上人が二祖聖光上人に指南した起行の用心(正しく念仏するための心構え)が記された『西宗要』の中で、『般舟三昧経』から「わが名を念ぜよ」と、弥陀本願の意を得た善導大師の深意が「阿弥陀仏の真金色の身。光明徹照し、端正無比にして、心眼の前にましますと想念せよ」(『観念法門』)の一文にあることを明かし、念仏の所期(目的)が見仏三昧にあることを指南した。
善導大師、法然上人、聖光上人と相続された深意は、弁栄聖者のご聖歌『念仏七覚支』の択覚支の冒頭で「弥陀の身色紫金にて円光徹照したまえる端正無比の相好を御名を通して念おえよ」と、心念口称の意として結実している。 - 3 因としての「愛念」、果としての「見」、そして本因
- 善導大師が般舟三昧の意義を讃えた『般舟讃』の言葉から衆生と如来が親密に因縁を和合する念仏三昧の深意を頂くならば、たとえば次のようになるであろう。
「仏身円満にして背相なし、十方より来れる人みな面を対ふ
あまねく衆生に勧む つねに憶念して、行住坐臥に心をして見しめよ
仏の願力に乗ずれば弥陀を見たてまつる、仏力をもつてのゆゑに三昧を成ず
三昧成ずることを得て心眼開けぬれば、諸仏の境界にして凡外に超えたり
眼には如来を見たてまつり、耳には法を聞き、身はつねに仏に従ひて喜びまた悲しむ
菩提無上の果を証得して、身を百億に分ちて生を度したまふ
ともに願じて心に傾けて相続して念ぜよ、すなはち有縁の心眼の前に現ぜん」
それに呼応するかのように、法然上人は、親密なる因縁の因である憶念をしっかり「愛念」(如来様にお遇いしたいと聖容を念い上げ、お慕い申す)と受け止め、
「我は唯仏にいつかあふひ(葵)草、心のつま(妻)にかけぬ日ぞなき」
「かりそめの色のゆかりの恋にだに、あ(遇)ふには身をも惜しみやはする」
と詠い、弁栄聖者は「如来を戀愛憶念する感情が宗教の中心である」(『難思光』)と説いている。また、如来様の御心に染まる親密なる因縁の果である「見」(仏心を見る)を、法然上人は、
「月かげのいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞすむ」
「あみだ仏に染むる心の色に出でば、秋のこずえ(梢)のたぐひ(類)ならまし」
と詠い、弁栄聖者は「見仏するに到れば、自己の内容実質において変化し、心霊美化せられて実質が霊格となり、霊活々発の活きた信仰となるなり。・・・見仏の功果は霊的人格とあらわるなり」(『宗祖の皮髄』)と説いている。
そして、親密なる因縁の本因が、本願力を縁じて一切衆生の霊的人格を完成(摂取)する無限の愛(無縁大悲)すなわち如来様の御心(仏心)であり、見不見にかかわず、常に聖容として表われ、一切の一人ひとりの真正面で大悲のまなざしを注いでおられるのであろう。 - 〈弁栄聖者の御言葉〉
- 「如来は絶対的に尊く在まして何れの處にも在まさざることなき霊体なれば、無上の尊敬心を以ってアナタは今現に真正面に在ますものと信じて霊名を呼び奉れば大ミオヤの大慈悲の霊胸に響きて慈悲の眦を注ぎて我を見そなはし給うと思いたまえ。また大悲のミオヤをお慕い申して一心に念じ奉るべきものであります。」(『人生の帰趣』)
「弥陀は、衆生を愛する大慈悲が相好と表れ、万徳円満な人格と現れ、如来の人格現はその光明に接触する念仏者を人格的に霊化するためである。弥陀の威神極まりなく𠑊臨し給ふことは、衆生の人格を神聖ならしめんがためにて、慈悲の相好は我等が内容を愛化せんためである。」(『ミオヤの光』「摂取の巻」)
【加藤智神父のご法話】「仏々想念・弁栄聖者の世界とカトリック」(まとめは田代)
私はカトリックの神父として叙階されて40年になります。
- ●母親のこと
- 母は、三河の浄土宗の檀家の家に生まれたのです。三河の浄土宗ですからそれこそ肝の座った信心といいますかね。もちろん母は学識があったわけではありません。ひたすら念仏を唱えておりました。おそらく私は母の胎にいるときからお念仏を聞いて育ったはずなんです。ですから生まれ出た後、いつになっても母の念仏が懐かしい気がいつもしておりました。
- ●藤本上人、河波上人との出会い
- 私が司祭になって20年くらいたって、今の金戒光明寺の御法主、藤本上人にお会いすることがありました。藤本上人から行ということについて改めて目を覚ましていただいきました。そして藤本上人が、この人に会えと言われたのが河波上人なんですね。後から考えると河波上人はクザーヌスの専門家で、クザーヌスはベネディクト会とご縁のあった枢機卿だった方です。私はオックスフォードのベネディクト会の修道士だったわけですから、ある意味では一番系統が近い方であり、もう一つは明らかに弁栄聖者に会いなさいということであった気がします。
- ●河波上人の教え
- 河波上人は私に対して弁栄聖者は浄土教とカトリックを切り結んでいる、ですからカトリックの立場で弁栄聖者に接してはどうかと言われました。これも私は驚くことであったわけですけれど、そのようなことを私に託してくださったと思っています。
- ●ユーロゲオとブロスユーコマイ
- ●父親のこと
- 私の父はもともと仏門の出で、私がイギリスに行ってカトリックの神父になるということはあまり快く思っていなかったんですね。ところがイギリスに来てくれて三日目くらいに父が私に「祈る姿は同じじゃな。」といったのです。親父が見ていたのは、そこに来てお祈りしている田舎のじいちゃん、ばあちゃんなんですね。ブロスユーコマイですから合掌して首を垂れる姿ですから、仏教と全く同じ。親父はこれで安心したといっていましたね。
- ●仏々相念
- キリストが私たちに手を合わせてくださる。それに私たちの手が合わさっていくという信仰です。仏々相念の世界で、その神は私たちを拝んでくれるような神。私はこの時弁栄聖者の姿、さら法然上人の姿が頭に浮かんでくるんですよね。
法然上人は自分が回向した念仏を唱える人を拝んでいく。そこに仏々相念の世界が始まっていったのだと思います。その意味で確実に法然上人の後継者は弁栄聖者ですね。
弁栄聖者は相手に学問があろうか否かは全く関係なく、一人一人丁寧に接していられた。弁栄聖者が拝んでいかれるのは仏さんだからです。 - ●弁栄聖者の教え
- カトリックも含めてすべて実は弁栄聖者のうちに収められている。実は弁栄聖者はそこから出発していられるのでしょうね。私は、カトリックとして弁栄聖者に近づいています。しかし弁栄聖者は既にカトリックを含んだ仏々相念の世界に立って、さらに次のことをなさっていられるに違いない。しかし何をなさっているかはただ一つかもしれません。お念仏を回向していく、そして私たちを仏とし浄土へと、なぜなら弁栄聖者は阿弥陀様だからです。お念仏を回向なさるのは阿弥陀様だけです。
ユーロゲオとは、カトリック聖典のギリシャの言葉であり、英語ではBlessing祝福すると訳します。神と人間が相対していく姿を言います。キリストの我々に対峙する姿は合掌であるわけですよね。ブロスユーコマイとは、「祈り」と訳します。お互いを拝みあう、合掌しあうという姿です。カトリックは、神と人とが対面してユーロゲオする。その姿はお互いが合掌しているという姿をとる。これは私にとっては驚くべきことでした。逆にこれがあるゆえに私はイギリスでカトリック神学を勉強しカトリックについて、違和感を持たなかった。姿が同じだからです。