光明の生活を伝えつなごう

キリスト教と光明主義

キリスト教と光明主義 その32

近藤 伸介

常不軽菩薩という生き方

 法華経の常不軽菩薩品には、ちょっと風変わりな、それでいてとても魅力的な一人の菩薩が登場します。その名は常不軽菩薩。「常に軽蔑しない」という不思議な名前を持った菩薩です。これは本名ではなく、誰からともなく人々が彼をそう呼ぶようになったのです。なぜかと言うと、この菩薩は人と出会うたび、相手がどんな人であろうと構うことなく、常に近づいて行っては「私はあなたを軽蔑しません」と声をかけていたからです。その様子は、法華経の語り手である釈尊によって次のように語られています。

 この求法者〔=常不軽菩薩〕は、僧であれ尼僧であれ、男の信者であれ女の信者であれ、会う人ごとに近づいて、このように言うのであった。
 「紳士諸君よ、私はあなたがたを軽蔑しません。あなたがたは軽蔑されていない。それは何故であるか。あなたがたは皆、求法者の修行をしてください。そうなさるならば、あなたがたは完全な悟りに到達した阿羅漢の如来になられるでしょう」と。(中略)この求法者は僧でありながらも教えを説くことなく、経文をとなえることもなく、会う人ごとに、たとえその人が遠くにいても、彼は誰にでも近づいて、このように声をかけ、相手が誰であれ、このように言うのであった。
 「淑女たちよ、私はあなたがたを軽蔑しません。あなたがたは軽蔑されていない。それは何故であるか。あなたがたは皆、求法者の修行をしてください。そうなさるならば、あなたがたは完全な悟りに到達した阿羅漢の如来になられるでしょう」と。

 このように、「常不軽」と呼ばれる男は菩薩の身でありながら、修行らしい修行もせず、お経を唱えることもしませんでしたが、その代わりに、出会うすべての人を見下すことなく、常に敬意を持って彼らに接していました。しかし会う人ごとに近づいて行っては「私はあなたを軽蔑しません」と声をかけるというのですから、声をかけられた人たちはきっと驚いたに違いありません。普通に考えれば、この菩薩は変人以外の何者でもないでしょう。よって、声をかけられた人たちも、彼に対して良い印象を持たなかったようです。この菩薩が人々からどんな扱いを受けたのか、それに対して彼はどんな態度で答えたのか、そのことについては次のように述べられています。

 彼に声をかけられた者は皆怒って、彼に悪意を持っただけでなく、不快の意を表して罵り、悪口を言った。(中略)しかし、彼は誰に対しても怒らず、また悪意も持たなかった。彼からこのように声をかけられた人々は、彼に土塊や棒を投げつけたが、彼は遠くから彼らに大声を挙げて、「私は、あなたがたを軽蔑しない。」と声をかけた。

 人々から非難され、迫害されてもめげることなく、ひたすら「私はあなたを軽蔑しません」と人々に声をかけ続けた常不軽菩薩。彼は一体何者でしょうか。

すべての人に宿る仏性への敬意

 その不可解な行動から、奇妙でありながらも不思議な魅力を放つ常不軽菩薩に、山崎弁栄上人も心惹かれたようで、法話の中でたびたびこの菩薩に言及しています。例えば、上人は次のように語っています。

 仏子の理想と志願は高く深くすべし、されどまた常不軽菩薩の徳行を倣いて、衆生を悉く中心より敬うて、謙遜の徳を養うべきである。

 仏教徒であるならば、崇高で深遠な理想と志を持つべきであるが、一方で人を見下すことなく、常不軽菩薩を見倣って、すべての衆生を敬う謙虚さも養うべきである、と上人は言います。確かにこの菩薩の人々に対する敬意は徹底しており、自分を迫害する者に対してさえ、その謙虚な態度は全く揺らぐことがありません。その行動は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というイエス・キリストの言葉をそのまま実践したものであり、よって彼の生き方はキリスト教徒にとっても理想的なものと言えます。
 それでは常不軽菩薩の生き方は、人々から非難され、迫害されても、なぜ全くぶれることがないのでしょうか。人々から否定されても揺らぐことのない、彼の行動を支えているものとは一体何でしょうか。弁栄上人の言葉を見てみましょう。

 法華〔経〕の常不軽〔菩薩〕品に、いかに現在悪人とても、其に具せる仏性は頓に仏と成り得べき故に、常来の仏として礼拝せりと。然らば一切の生物は、当成の仏として皆尊い。

 少し言葉は難しいですが、ここに語られているのは、すべての衆生が有する「仏性」への確信と敬意です。たとえ現在どんな悪人であろうとも、その者の中には仏性が宿っており、それ故、その悪人も常に仏になれる可能性を秘めており、よってすべての衆生は仏になるべき存在として尊く、礼拝されるべきである、と上人は言います。常不軽菩薩には、すべての衆生に潜む仏性への揺るぎない確信と一点の曇りもない敬意がありました。自分が出会うすべての人は、たとえどれほど悪人に見えようとも、その内に秘めた仏性によってやがて仏となるべき尊い存在である。こうした仏性への確信と敬意が常不軽菩薩の行動を支えていたのです。
 それでは生涯をかけて人々を敬い続けたこの菩薩は、最後にどうなったのでしょうか。法華経には、そのことについても記されています。それによると、彼はいよいよ死期が迫った時、天から流れて来る法華経の教えを聞き、それを瞬時に理解し、その結果、彼の六根は清浄となり、遥かな寿命を獲得し、法華経の教えを広く人々に説くようになった、とあります。するとそれまで彼を軽蔑していた人々も、彼の話を聞くために集まり、彼の随行者となりました。そしてこの菩薩は彼らすべてを鼓舞し、この上なく完全な悟りに到達させたと言います。衆生に潜む仏性を信じ、それを敬い続けた菩薩は、ついに人々の仏性を開花させ、彼らを完全な悟りへと導く者となったのです。さらにこの章の最後に、語り手である釈尊の口から、常不軽と呼ばれた菩薩が、実は釈尊自身の前世の姿であったということが明らかにされます。釈尊は、常不軽菩薩であった過去世において法華経の教えを学んでおいたおかげで、今生において速やかにこの上なく完全な悟りに到達できたと語ります。

弁栄上人は常不軽菩薩である

 すべての衆生に宿る仏性を信じ、その尊さを人々に説き続けることに生涯を捧げた常不軽菩薩。その姿に感銘を受けた人が過去にどれだけ存在したかは分かりませんが、その一人に詩人・作家の宮沢賢治がいます。彼の死後、有名な「雨ニモマケズ」の詩が書かれた黒表紙の手帳が発見されました。「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれるその手帳の中には、この詩の後に常不軽菩薩についても記されていました。そこから「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という言葉で終わるこの詩の「デクノボー」のモデルは、常不軽菩薩であるという解釈が生まれました。作者が亡くなってしまった今、その真偽は分かりませんが、宮沢賢治がこの菩薩に深い共感を抱いていたことは間違いないようです。そして弁栄上人もまた、この菩薩に深い共感を覚えていました。菩薩に言及した上人の言葉の端々からそれを感じることができます。例えば、次の上人の言葉を見てみましょう。

 霊に活ける仏徒は超勝独妙の霊を自尊すれども、毫も我慢の色なし。また他の一切の衆生を尊敬して礼拝す。釈迦の前世、常不軽菩薩の時に、貴賤貧富の隔なく、すべてを礼し、汝等当来皆当作仏と号して礼拝す。弊悪の輩、還て瓦礫を以て投石する時は逃げ去て、遠く其影に向って尚も至心に敬礼して止まず。何故に悪性弊垢の輩にも尚礼拝するかの所以は、是等現前は如何に弊悪なるも、内心に潜める仏性は、当来に於て作仏すべき霊性を信ずるが故に、現在の悪人たるを認めずして、其仏性に向て礼拝すと。
 (霊性に活かされている仏教徒は、極めて勝れた自らの霊性を自尊しているけれども、少しも傲慢になる気色がない。また、他の一切の衆生を尊敬して礼拝する。釈迦は、前世の常不軽菩薩の時に、富める者も貧しい者も区別することなく、すべての者を敬い、「あなたがたは、やがて皆、まさに仏となるべき者である」と語って礼拝した。しかし悪い連中は、かえって瓦礫でこの菩薩に投石したので、その時は逃げ去って、遠くから彼らに向かってなおも心から敬礼し続けた。なぜ悪に染まった連中にもなお礼拝したのかというと、彼らが現在どれほど悪かったとしても、彼らの心の内には仏性が潜んでおり、やがて仏となるべき者であるという、そうした霊性を信じるが故に、この菩薩は現在の悪人としての彼らを認めず、彼らの仏性に向けて礼拝していたのである。)

 ここには、霊によって活かされた仏教徒は自尊心があっても少しも傲慢になることがないとあり、また常不軽菩薩はどんな悪人の内にも宿る仏性を信じるが故に、相手が悪人であることを認めず、やがて仏になるべき者として、その仏性に向かって礼拝していた、とあります。仏性は、光明主義では「霊性」と言い換えられます。この引用の中にも霊性という言葉が見えますが、弁栄上人にとって、仏性への確信はそのまま霊性への確信でした。よって、上人によれば、仏性=霊性の存在をいささかの疑いもなく信じていたことが、常不軽菩薩の行動の源泉であった、ということになります。彼は「私はあなたを軽蔑しません。あなたはやがて仏になられるでしょう」とひたすら人々に語り続けることで、自らの内に潜む仏性に目覚めるよう、人々を促していたのです。その生き様は、生涯をかけて如来から与えられた霊性について語り続けた弁栄上人と重なります。常不軽菩薩と同様、弁栄上人の生き方も全くぶれることがありませんでした。それは、すべての衆生に霊性が宿り、すべての衆生は如来となるべき存在である、という確信が上人の中にあったからです。

弁栄上人の法華経観

 法話の中で頻繁に語っていることから、弁栄上人が法華経に造詣が深かったこと、また強い関心を抱いていたことは間違いありませんが、それでは上人は法華経をどのような経典と見ていたのでしょうか。それを伺うことができる上人の言葉があります。上人は『宗祖の皮髄』の中で、華厳経、法華経、無量寿経という大乗仏教を代表する経典について次のように語っています。

 大乗仏教の釈尊は大哲人たるとともに大宗教家なりしなり。『華厳』および『法華経』等の教主としての釈尊は、実際哲学の方面より真理を悟る道を示され、『無量寿経』は宗教の教主として宗教の模範をたれたまえり。

 ここで上人は、釈尊を哲学者と宗教家という二つの側面に分け、華厳経と法華経については釈尊が哲学者として「真理を悟る道」を説いたものとし、浄土教の根本聖典である無量寿経については釈尊が宗教家として「宗教の模範」を説いたものと述べています。これは弁栄上人の経典観を示したものとして、とても興味深く思われます。法華経は譬え話が多く、物語性が強いぶん、華厳経のような経典と比べると哲学的な要素は乏しいように思われますが、上人はそのように見ていなかったようです。では、なぜ上人は法華経を哲学的な経典と見たのでしょうか。その理由の一つは、この経典が説かれた意図あるいは目的に、上人が思想的に共感したからだと思います。上人の言葉を見てみましょう。

 人は人の子たると共に如来の御子であることの自覚に入らしめんが為めに、仏は世に教を垂れ給うた。『法華経』に一切衆生は悉く我子と仰せられ、また方便品に、諸仏如来は衆生をして仏の知見を開示して、仏の正道に悟入せしめんが為めに出世し給うと。〔その〕意は、人々本具の仏性を開きて仏の御子の徳を示さんが為にと。

 ここで上人は方便品の言葉を引いて、法華経が説かれた意図を、私たち衆生に仏の智慧を開示し、仏性を開花させ、すべての人が仏=如来の子であると自覚させるためである、と述べています。また上人は、次のようにも言います。

 『法華経』に、諸仏如来は一大事因縁を以ての故に世に出現したまふ。衆生をして仏知見を開かしめん為の故に世に出現したまふ。仏知見を開示悟入、仏の正道に悟入せしめん為に世に出現したまふ。(中略)衆生は秘密の宝蔵を遺すことなく智見し、悟入して初めて、如来は我にして我は如来であることを自覚することを得。

 これによると、法華経における仏=如来は、衆生に宿る仏の智慧を開くために現れ、そのおかげで私たちは自らの内にある秘密の宝=仏性を完全に理解し、「如来とは自分であり、自分とは如来である」という、自己と如来の一体性を自覚するに至る、とあります。一切の衆生に潜む仏性=霊性を開花させ、人々に自らが如来の子であり、さらには自らが如来自身でさえあることを自覚させる、このことはまさに弁栄上人の生涯をかけた使命でもありました。よってこれらの言葉から、上人が法華経の目的に深く共感していたことが伺えます。また、上人がこの経典を哲学的と呼んだ根拠は、この目的への思想的共感の他に、如来寿量品を中心に描かれる「久遠仏」の思想にあるような気がしています。法華経における釈尊は、この世界に生まれ、八十年の生涯を過ごして亡くなった一人の人間ではなく、それは仮の姿で、その本性は永遠の仏、すなわち久遠仏であるとされています。しかもその仏は概念的・静止的な存在ではなく、今この瞬間にも生きて活動し、絶えず私たちに働きかける存在です。その姿はあたかも弁栄上人が語る阿弥陀如来のようであり、よって法華経と光明主義は思想的に相通じるものがあるように思われます。そこで次回は、法華経における久遠仏について見てみたいと思います。


(注1)常不軽菩薩の「常不軽」にあたるサンスクリット語は‘sadāparibhūta’であり、文法的には過去受動分詞と言い、直訳すれば「常に軽蔑された(sadā-paribhūta)」あるいは「常に軽蔑されない(sadā-aparibhūta)」となり、岩波文庫では「常に軽蔑された男」と訳されている。しかし法華経を漢訳した鳩摩羅什はこれをあえて「常不軽」、すなわち「常に軽んじない」と能動的に訳している。それは文法よりも、この菩薩の行動を重視した結果と考えられる。よって、ここでは鳩摩羅什の訳に従い、受動ではなく、能動的に「常に軽蔑しない」と訳した。
(注2)阿羅漢とは、サンスクリット語の‘arhan’(「尊敬・供養に値する者」の意)の音写で、漢訳では「応供」とされる。もとは仏の別名である「仏の十号」の一つであったが、後には仏と区別され、修行を完成した仏弟子を意味するようになった。
(注3)『法華経(下)』坂本幸男・岩本裕訳注、岩波文庫、1967年、pp.133-135。一部、表現を改めて引用。
(注4)同pp.135-137。
(注5)『不断光 附仏法物語』より「仏法物語」、ミオヤのひかり社、1928年、p.11。
(注6)マタイによる福音書第5章44節。
(注7)『ミオヤの光 縮刷版二巻』ミオヤの光社、1989年、p.26。
(注8)『ミオヤの光 縮刷版三巻』ミオヤの光社、1989年、p.189。
(注9)『宗祖の皮髄』光明修養会、1990年、p.123。
(注10)法華経の方便品には、次のようにある。「如来がこの世に出現する目的となった、如来の唯一つの偉大な目的、唯一つの偉大な仕事とは、一体何であろうか。それは如来の智慧を発揮して人々を鼓舞するためであって、そのために如来はこの世に出現するのである。如来の智慧の発揮を人々に示すためであり、またそれを人々に理解させ、分からせるためであり、また如来が智慧を発揮するに至るまでの道程を人々に理解させるために、世尊はこの世に出現するのだ。」(『法華経(上)』坂本幸男・岩本裕訳注、岩波文庫、1962年、pp.89-91。)
(注11)『無礙光』ミオヤのひかり社、1956年、p.237。
(注12)『ミオヤの光 縮刷版三巻』p.278。

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