次は『礼拝儀』にある「昏暮の礼拝」の「至心に感謝す」について考えていこう。
感謝というのはみんなもう知っているね。
「ありがとう」ということだ。
今回はこの感謝について真剣に悩んで考えて、
そして答えを見つけたあるお坊さんの詞を紹介するね。
私たちは大切なことにまったく気付いていないんだ。
オモチャを買ってもらうと大喜びで「ありがとう」と言うくせに、
毎日頂いている空気には「あたりまえ」で、まったく感謝しないんだ。
でも、無いと生きられないのはどっちだろ?
そう、空気の方が無いと私は、生きられないんだ。
とても大切な「ありがたい」ものなんだ。
でも、私は「ありがとう」と思えず「あたりまえ」と思ってるんだ。
おかしいなー?おかしいなー?何で私は感謝できないんだろ?
どうやら私たちは、毎日そばにあって、とっても大切なものに対して、
感謝の気持を忘れてしまう弱点があるようだ!
毎日、私の思い通りに動いてくれるこの手足、
いい加減に噛んだ食べ物をちゃんと消化してくれるこのおなか、
大切な命からできている食べ物、
いつも、私のためにあの手この手で育ててくれるパパママ、
そしてやさしいご近所さんや、色々教えてくれる先生、
ものが見えるように明るくして、暖かくもして、色々してくれている太陽、
今私たちがここにこうやって生きている奇跡、
色んな人、ご先祖様のお蔭なんだ。
この他に、まだまだたくさんある大切な「お蔭様」に対して、私はどうしても「あたりまえ」になってしまって、
感謝を忘れてしまう。
「本当にごめんなさい・・・」
そんなあるとき、とっても偉いお坊さんに、教えてもらったんだ。
そのいっぱいある大切なものの中心を、阿弥陀仏というんだよ。
だから、その阿弥陀様をいつも、南無阿弥陀仏を祈ると、
感謝を忘れないということになり、さらには感謝の心が湧いてくるんだ。
君だけでなく、私達人間はすぐ大切なことへの感謝、存在を忘れてしまう。
だから毎日毎日、南無阿弥陀仏と、お勤めをして、
食事の前と後には、「いただきます」「ごちそうさま」と感謝する。
忘れるから、忘れないように毎日ちゃんと祈る。
このことを、教えてもらって、私は阿弥陀様に誓ったんだ。
「よし、僕はこれからちゃんと、大切なことを忘れないように、
毎日少しでもお勤めをします。南無阿弥陀仏」とね。