禅宗のお坊さんで、ばんけい禅師という偉いお坊さんがいました。このお坊さんが晩年になって、自分の体をとてもいたわり、長生きすることを強く願っていました。
そんなばんけい禅師ですから、食事のときには、ご飯の量などをしっかり量って食べていました。その様子をじっと見ていた別のお坊さんが、馬鹿にするようにニヤニヤ笑いながらこう言いました。
「あなたは歳をとって死ぬのが怖くなったのですか、そんなに長生きをしたいのですか?」
と、修行が足りない、なさけない坊主だといっているような口ぶりです。
それに対してばんけい禅師はこう答えかえしました。
「生きていて人に恵みを与えるものがないのならば、長生きする必要はない。しかし、生きていて、人に恵みを与えるものがあるのならば、それをなるべく多くの者に渡したいと願うものですよ。私が誰よりも長生きしたいと願うのはこのような思いからなのです。」
どうやら、修行が進んでいるのはばんけい禅師の方ですね。
また、浄土宗の法然上人も長生きすることに関して、
「仏さまのそばに行くという目的を成就する為であるなら、健康や長生きを願っていいのですよ。」
という優しい言葉があります。
どうやら、この法然上人も、ばんけい禅師も伝えたいことは、
何のために長生きしたいのですか?
いいかえれば何のために生きるのですか?
しっかり定めましょうね。
ということなのでしょう。