『礼拝儀』にある「至心に帰妙す」っていうのは、
自分勝手にならないよう、心から如来様におまかせします。
って意味なんだ。
君の命って自分勝手にしていいものかな?よーく考えよう。
お米だって、お魚だって、みーんな命をもっている。
私たちはそんな命をいただいて生きているんだ。
だから、ごはんを食べるときは「いただきます」って言うんだ。
いただいた命のことを思ったら、自分勝手に生きちゃいけないよね。
それにね、君の命だって、
お父さんやお母さん、そして如来様からいただいたものなんだよ。
だから、お父さんお母さんとケンカして、
「生んでくれって頼んでない」
なんて、そんな悲しいこと言っちゃダメだよ。
でも、私たちは、
「ウソをついちゃいけない」
「お掃除当番をさぼっちゃいけない」
ってわかっていても、ついついウソをついたりサボったり、
いろいろな悪い事をしてしまうことがある。
でも、そんなとき、如来様が真ん前にいると思ったら、
ウソがつけるかな?
お掃除当番サボれるかな?
ウソをつけないよね!
お掃除サボれないよね!
如来様が真ん前にいると思って、
心から「なむあみだぶつ」っておとなえすると、
だんだん自分勝手じゃなくなっていくんだ。
それだけじゃない!
如来様が、お父さんやお母さんのように、
信頼できるようになるんだ。
君もお父さんやお母さんを信頼して、
色々な事をおまかせしているよね!
ご飯はお母さんにおまかせ。お仕事はお父さんにおまかせ。
そんなの当たり前なんて思っちゃダメ。
私にできないことを、おまかせしているんだ。
そう思ったら、お父さんお母さん「ありがとう」
私にもお手伝いできないかなって思えるはずだよ。
だから、「至心に帰妙す」というのは、
如来様、すべておまかせいたします。
私にも何かお手伝いをさせてください。
という想いなんだ。