次は『礼拝儀』にある「至心に勧請す」について考えよう。
「至心」と「勧請」、これはむずかしい漢字がでてきたぞ。
簡単にいうと、「至心」というのは、「心をこめて」という意味。
そして「勧請」というのは、
「如来様どうか私のところに来てください」という意味なんだ。
だから「至心に勧請す」というのは、
如来様に心をこめておねがいします。どうか私のところにきてください。
そんな意味になるんだ。
それで、「私のところへきてください」と言ったけれど、
私のところっていったいどこだろう?
それは私の心の中。
心の中の如来様、来てくださいとお願いするんだ。
ちょっと心をお家に例えてみよう。
君のお家にどんな人がいてほしいかな?
こわい人やいじわるな人がお家にいてほしいかな?
どろぼうがお家にいてほしいかな?いてほしくないね。
やさしい家族がいてほしいね。大好きなお友達が遊びにきてほしいね。
お家だと目に見える、だから、だれがいるかわかりやすい。
けれども心の中は目に見えないね。だからわかりにくい。
でも自分の心の中は、自分がよく知っているはず!
ちょっと考えてみよう。
だれだって、やさしくて強い人でありたいと思っている。そうだよね?
でもどうだろ、やさしい人でありたいのに、いじわるしてしまうことってない?
なぜか、いじわるな心が君の心のお家にいることがあるよね。
ただしいことをしたいのに、悪いことしてしまうこともあるよね。
それでいつも「コラ!」っとおこられる・・・。そんときのママ恐いね。
私達の心のお家には、「悪い心」と「正しい心」の二つの心がいるんだ。
なんで正しい心が悪い心に負けちゃうんだろう?
なんでやさしい心が、いじわるな心に負けちゃうんだろう?
それは如来様という強い味方が心の中にいないからなんだ。
だから、悪い心が、君の心のお家で悪いことをするんだ。
その反対で、いつも如来様に「心にいて下さい」とお願いしていると、
だんだん悪いことができなくなってくる。悪い心がお家からいなくなるんだ。
そして正しいこと、やさしいことがどんどんしたくなる!
私達の心の中で如来様が、悪いことしないように、正しいことするように助けてくれるんだ。
如来様は本当にいるんだよ。お家や家族は目に見えるよね。
でも、君の心は目に見えない。でもちゃんと心はあるよね。
それと同じ!目には見えないけれども、ちゃーんといる。
だから、お家に大好きな人がいてほしいように、
君の心のお家にも、明るくて、やさしい如来様にいつもいてもらおう!