前回は心のよごれについて、布のたとえの話をしました。できたら、これを読む前にもう一度読んでみよう。今回はそのつづきです。
おシャカさまが、布のたとえの話をおえると、スンダリカという人が質問しました。
「では、おシャカさま、パーフカー河にいきましょうか?」
昔からインドでは、水に心をきれいにする力があると信じられ、河の水につかる習慣があります。おシャカさまが心をきれいにする話をしてくださったので、このスンダリカはとうぜん、おシャカさまはどこかの河の水につかって心のよごれを洗いきよめると思ったのです。
しかし、おシャカさまはその質問にたいして、
「パーフカー河、アディカッカ河などの河の流れに、
おろかな人たちは身を浴しますが、心のけがれをきよめることはできません!」
そうはっきりと説いたおシャカさまは、その後に、
「心きよきものはつねに、春の祭りのように心の中が喜びにみちています」
「心に思うことがきよきものは、つねに反省の心があります」
「心がきよく、行いがきよらかなものは、おのずと心のやすらぎをえることができます。スンダリカよ、河ではなく、毎日の生活の心がけと行いをもって心をきれいにしていきなさい」
このように、おシャカさまは、お説きくださいました。
よくテレビで滝にうたれて修行する様子を見かけるよね。あの修行も心に気合いをいれるのにはとってもいい修行です。
でも、おシャカさまは心をきれいにするためには、それよりも毎日の生活の中で、心をきれいにする心がけと行いをしなさいと説いています。大切なことって、滝にうたれるような派手なことではなく、実は地味なんだよね。
たとえば誕生日に、ほしいものを買ってもらいました。「ありがとう」と満足し感謝する心はきれいな心だね。「もう一つほしかったのに!」と文句を言っているのはよごれた心。そんな心が出てきたら、しっかり反省して、次からそんなことは言わずに、「ありがとう」という。それが、毎日の生活の心がけと行いということ。
法然上人や弁栄上人というおぼうさんが、「心に仏さまという尊いものを思うと、心も尊くなっていきますよ」と説いています。これは、心の布を仏さま色にそめるということだ。そして、日々の生活で反省をし、仏教徒の習慣(戒)をまもるという心がけと行いは、よごれた布をごしごしと洗うということだ。