前回のあらすじ 罪人が白い象に追われて、井戸に逃げ込み、頼りない草の根っ子にしがみついていると、下には毒蛇、そして、上には白い象とさらには、ネズミが根っ子をかじっているという大変な状況です。(前回はこちら)
その時、今まで、気付かなかったが、井戸のそばにある木の枝からぽとぽと、と何かが落ちてくる。それがたまたまぼーっと空を眺めていた男の口の中にぽとりと入りました。
「甘い!」
男はなんとも嬉しそうな顔になりました。それは枝をつたって落ちてくる木の蜜です。そのおいしさは身体中にしみこんでいきます。男はその甘い蜜に夢中になり、今にも、命が失われようとしている事を忘れ、じっと口を開けて次に落ちてくる甘い蜜を待ち受けるのでした。
このお話はここで終わっています。
このお話は何を例えているのでしょう。
その罪人の男は悪いことをした人。白い象は、苦しみや報い。井戸の下にいる毒蛇は地獄。根っ子は寿命、白いネズミは刻々とすぎていく月日の事。甘い蜜というのは、はかない一瞬の楽しみをあらわしているのだと思います。
このお話の男を私は幼い頃に聞いて、ただ「馬鹿だなー」と思っていました。しかし、大人になってみると、そんな人をたくさん見てきたし、自分の中にもそんな馬鹿な自分がいると気付いてとても驚きました。
「今がたのしければいいや」こんな自分。それって甘い蜜で楽しんでいるこの男の人と変わらないよね。でも、このまま行けば、ぜったいおじいちゃんになったとき、「私の人生なんだったんだろう?」「まずい、もうすぐ根っ子が切れてしまう!」そういっているんだろうなと想像し恐ろしくなりました。
「そうはなりたくない、なんとかして井戸から出たい!」 「この罪人の助かる方法、私の助かる方法ってなんだろう?」
昔のお坊さんが、
「南無阿弥陀仏というお念仏は、深い穴に落ちて、お父さん、お母さんと泣き叫んで呼ぶようなもの」と言っています。
井の中の蛙、大海を知らず。
ということは、井の中の人間、助けて下さる仏を知らない。今は井戸から、象やネズミ、そして毒蛇しか見えていなくても、必ず助けてくださる仏さまが私たちの声を聞いています。その救いを信じて。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。