名古屋・西蓮寺会場
内藤 規利子
西蓮寺には今にも咲きそうな蓮がありました。7月9日、大田敬光上人様ご指導で例会、ご法話の一部です。
弁栄聖者のお慈悲の便りは分かりやすい言葉でそのまま御教えになっていて、こういうものがあるということはとてもありがたいことです。相手によってとても分かりやすく書いてあり、又なかなか深いものもあります。(中の一通を説明しながら読んで下さいました。)
この宇宙全体が如来様ということであれば、天地を尽くして一切の所においでにならない所はないでしょう。「阿弥陀経」には十万億土のかしこにも座します。今現にここに座します。
大ミオヤなる如来の聖き御名(ナムアミダ仏)を称えれば大ミオヤは現にこれを聞いて下さり、礼拝すれば如来様はちゃんと見ていて下さいます。私達の心は全部如来様に通じている。私が如来様を憶念(お思いする)すれば私達よりなお深く思って下さいますよ。
私の心と如来様の心が深く愛念し如来様と少しも離れなければ親縁がいただけている。拝みたいと思って念ずれば現にここに現れて下さる。これを近縁という。私達の心の悩みには強き力をもって助けて下さる。いかんることも助けて下さる。如来様の御力がどんどん自分に加わってくる。これを増上縁という。
口にナムアミダ仏を称えミオヤを思い憶念すれば私達はいつか清められ、暗き心も明るく、悩みの心も楽しくなってくる。仏様と私達が御縁をいただけたということはとてもありがたいことです。
私にも、私が「お慈悲の便り」といっているお便りを下さる大先輩がいらっしゃいます。弁栄聖者からいただくことは出来ないので、親様がそうして下さったんだなぁと感じております。いろいろ教えていただきました。感謝、感謝です。