名古屋・西蓮寺会場
内藤 規利子
西蓮寺にいつもは沢山あるお花がほとんど無い。ちょっと奥に目を向けると、見たこともない可憐な花が・・・・。若奥様にお尋ねすると「花ミョウガとかヤブミョウガとか呼ばれているものですよ」と教えて下さいました。なるほど葉っぱが「ミョウガ」にそっくり。
9月3日、太田敬光上人様ご指導で例会。ご法話の一部です。
お釈迦様は「相手を恨むなよ」とおっしゃいましたが「恨みを持つな」と言われても、煮えくり返っているような気持ちがあるものをどうして恨みを持たずにおれるか」というような人がほとんど。「煮えくり返っている心は、こうすれば納めることができますよ」ということをはっきり言わなければ価値はないかもしれない。仏教の修行は、それがはっきりできるような仕組みになっているのです。お念仏を称えると自分が救われるということがけれど、同時に相手を救うことにもなっていく。弁栄聖者はお念仏を木魚を使って木魚の音と一緒に心を落ち着かせるということを皆にお勧めなさいました。心を静かに落ち着けるとアミダ様の「光」と「命」をいただけるということが分かってきます。
昔は漢文のお経を読んでいたけれど、今の時代になってみると読めない人がほとんどになってしまった。百年くらい前に何とかしなければと思った方が何人かいらっしゃって、その中のお一人の弁栄聖者が礼拝儀をお作り下さいました。
「至心(心の底から)に帰命す」
-これは一番大事だから礼拝儀の最初に持って来られている。「至心に懺悔す」「至心に回向す」の三つを抑えておけばよい。後は、それをいろんなお経の中から分かりやすい言葉でまとめられている-ということが分かってきます。限られた時間しかない時はこの三つをされるとよいと思います。
8月号に書かせていただいた友人が、お念仏の話をよくされるようになりました。礼拝儀を差し上げようと思っております。