名古屋・西蓮寺会場
内藤 規利子
西蓮寺の池は、ホテイアオイで覆いつくされていて「ウワーッ すごい!」と思わず言ってしまいました。床の間にはススキと赤の彼岸花が清楚に活けられていて心が和みました。9月30日、大田敬光上人様ご指導で例会。ご法話の一部です。(弁栄聖者お慈悲のたよりを分かりやすく読んで下さいました。)
念仏の念という字は「人二心」、二人が一つになった心の心のすがたです。ゆえに念仏の心は、かたちは一人でいても、心のどこかにいつでも如来の心と一つになっているのです。
この頃の寒さについて、火鉢の中の炭火に寄せて所感を話してみます。火鉢の中の炭火は、この寒き中にもかかわらず春の桃の花よりももっと真っ赤な色を呈し、いかにも愉快に快活にうれしそうに火鉢の中に燃えつつある。火鉢にかざす人の手を温めてくれるしお茶を飲もうとすれば湯も沸かしてくれるし、お餅も焼いてくれる。この寒さに何人にも愛される炭火クンも、炭箱の中に真っ黒な顔をして冷たい時には誰も手をつけてがない炭なのです。一寸でも手を触れればまっ黒に汚れるから、さわるのを人々がいやがる。その炭ドンも火鉢の中に入れて人一緒になると皆に愛される。炭と火は二人が一つになって離れぬ仲となるからです。
炭は火を我有し、火は炭を我有している。これが念の字のすがたであります。私どものまっ黒な炭のような煩悩の心でも、如来の愛の光の火が加わると、炭に火がついたように娑婆の憂いの寒さも忘れて大慈悲の火に温められて日々愉快にありがたく日暮らしができます。あなたの心に如来の炭火が加わる時は、いつでも快く胸の内が有難く温かくなります。
いつでも仏様と一つになっている心が念仏を申すのであります。お正月のおトソで酔っぱらっている人はお酒と二人一つになっているのです。
あなた方や私どもは尊き清き有難き如来様の慈悲心と二人が一つになっているのです。口に念仏の空気が通わぬと念の火力が弱まります。念仏の空気さえよく通れば、いつでもカンカンとしております。
これから寒さに向かい火が恋しくなります。このおたよりのことを忘れないようにお念仏に励みたいと思います。