光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成20年3月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺には蝋梅が満開で、白梅も数輪ほころんでいました。

1月20日、大田敬光上人様の御指導で例会。御法話の一部です。
弁栄聖者お慈悲のたよりを訳しながらお読み下さいました。

宗教の第一にまず信ずべきことは絶対的に大なる大ミオヤを信じ、常にミオヤを心のどこかに忘れぬようにしておくことが大切。法華経というお経は《三界を我がものにして、その中に生きる衆生(人々、生き物)はみな我が子なり》と示されてあり、また如来様は真実のミオヤにて衆生はことごとくその子であるということが細やかに説かれている。

善導大師が《浄土に行くということは実は元のミオヤのもとに帰るという意味である》と言っておられる。そこから迷い出た故にミオヤの本国を故郷と別の所のように思っている。大ミオヤは元一体だから一度絶対無限のミオヤの元を迷い出し生き死にの世界に生を受けた人々のために三身のお体に分かれてすべての子らを養って収めて下さる。

まず第一は法身。天地万物の法則の本体で万物ことごとく法身決まりによって生かされている。現に我も人も生きつつあるが、法身の法と御恵みとによる故に生みのミオヤという。

第二に報身。法身から受けた我らが仏性は、ちょうど鶏の卵のように仏となるべき性質を持っている。しかし、一人で勝手に仏になることは出来ない。報身の光明に収められて一心に仏を思って念仏すれば摂取の光明は念仏する人を温めてついに卵が孵化するごとくに信心の目鼻がついて仏の心に生きる信仰となる。

第三に応身。お釈迦さまは仏様だけれども人間としてこの世界に出られた。お浄土に在ます報身如来より身を分けて、人間の身をもって我らに教えて下さっているミオヤである。三身は元一体にして私どもの体を生かして下さる法身仏にして我らの心を復活させて永遠に生きる仏として下さるのは報身仏である。真理を教えて下さるのは応身仏のお釈迦様である。この三身どれ一つを欠いても私たちは生きることも教えを得ることも出来ない。この三身すなわち一つの大ミオヤ。すなわちアミダ仏、南無阿弥陀仏である。願わくば世のすべての人々にこの大ミオヤの実在を知らせたいと思う。

このお手紙は弁栄聖者の御教えの要点を簡潔にまとめてあり、大事な弁栄教学の根本になるお手紙であると思って年の始めにお読みしました。

幼年長の孫娘が私の自転車の後にちょこんと座っていて、いろいろ話をしてくれました。そのうちポツリと「自分で悪いことをしていないと思っていても悪いことをしていることもあるんだよ」と。

えっ!こんな幼い子が、大人でもなかなか思えないことを・・・と感心してしまった私でした。

「私が悪い。私も悪かった・・・」それが分からないことにはなかなかお念仏は出来ないという。サンゲしてお念仏を称えていきたいと思っております。

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