内藤 規利子
西蓮寺の庭は新緑が美しくその中にひらどツツジ、こでまり、シャガ、他にもいろんな花が咲きとてもきれいでした。玄関の前に青紫のかわいい花を見つけた時、「何じゃこりゃ?このかわいい花は・・・」と思わず言っていました。若奥様は「次から次へといろいろ咲くので楽しみですよ」とおっしゃいました。
標語に“花それぞれに光あり”とあり、なるほど・・・
4月25日、大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法語の一部です。
まず、浄土宗のお経本と礼拝儀を皆でおあげしました。
その後、弁栄聖者「お慈悲のたより」の81番を訳しながらお話し下さいました。
太陽は天に照っておいでになる。誠にありがたい。この大きな力の陽の光によらないと人の体は生きることができない。人の頭の中心の宮殿ともいえる心は無量光如来の光明によらなければ生きることはできない。人の心は不安でいっぱい。どうしたら本当の心の安心が得られるのかといえばそれは何といっても如来様の御心をちゃんと頂くことが一番。そればらばどうすれば我らの心は如来様の光明を受けることができるか。只真心をもって「南無阿弥陀仏」と称えていれば如来様の御心が自分の中にだんだん分かってくる。そういうことができた所に如来様の御心は私らの心を守り育てて下さる。真心をもって如来様の前に自分の一番深い所をさらけ出して鏡を一生懸命磨いているような気持ちでお念仏をお称えしていただけるとよい。何でも心に磨きをかけるとよい。鏡に磨きをかけると映りがよくなるので如来様が現にいらっしゃるということがはっきり信じられてくる。是非一心にお念仏して信心の鏡を磨いてください。
(ここからは内藤の事)
以前は薬用植物だったという牡丹が観賞用に栽培されることが多くなっているという。私は数年前、はるばる岡山から来たという行商のおばあちゃんと話しているうちについその気になって大枚?はたいて苗木を6本も買ってしまいました。おばあちゃんと別れてから「しまった!こんなに買うんじゃなかった!」と思いました。植木鉢で育てていたけれど一本枯れ二本枯れ、これはしまいに無くなってしまうと実家で義妹に頼み込んで庭に4本植えさせてもらいました。昨年はきれいに咲いて嬉しく思いました。本で牡丹の手入れの方法を見て芽欠きと剪定だけしました。今春妹が「姉ちゃん牡丹見た?凄いよ蕾がいっぱいついているよ!」と。早速行ってみるとポンポンに膨らんだ大きくかわいい蕾が沢山ついていて咲くのが楽しみでした。満開の時は見事でした。よく見ると陽のよく当たる所から順に見事に咲いているのに気付きました。心霊界の太陽でいらっしゃる如来様の脚光を浴びなければ私達の霊性は育たないと聞いてはいるけれど、このことだなあと又々思ったことでした。
お念仏をしっかり称えよう!と思いました。