中部地区教学研修会
矢野司空
去る10月14日・15日の2日間にわたって中部支部主催の「教学研修会」が講師に川本剛空上人を迎えて開催されました。
なにしろ初めての事なので、どれくらいの参加者があるか不安でしたが、合計12名の参加者を得て充実した内容で終えることが出来ました。
14日2時より開白法要を勤め会祖弁栄聖者のご回向をした後、支部長の挨拶があり、「現在の光明会の現状と問題点を述べ、特に会員の高齢化が進み若い人の入会が減っていること、それを是正するためには光明主義のさらなる展開が必要である」ことなどを述べ研修に入りました。
研修内容は。『宗祖の皮髄』を取り上げ、法然上人のお歌に対して弁栄聖者がどのような取り組みをしてきたか、それまでの聖者の著作と比較しながら、思想の過程を検証する内容でした。時代的な背景から、聖者が西洋の哲学者の思想をどういう形で取り入れたのか、時に哲学用語を交えながら追求する講義は、若干難しい面もありましたが、今後の光明主義の展開に様々な示唆を与えてくれました。2日間5回の講義は十分な時間とは言えず、未完のまま終えざるを得ませんでしたが、次回さらに進めていくことを確認して終えました。
最後は、1時間の質疑応答を行い、参加者からさまざまな質問が出され、講義内容を深めるために大変有意義であったと思われます。
最後に、支部長が閉会を宣言し、その中で光明会におけるセクト主義を是正し、法然上人の思想と弁栄聖者の思想の歴史的意義を展開させるためにグローバルな視点で活動を続ける必要のあることを述べて閉会しました。
西蓮寺例会
内藤 規利子
西蓮寺には赤白の彼岸花が咲き、若々しい薄(ススキ)の穂がスッと伸び、アベリヤ等が咲いていました。御縁あってひかり誌に『光り輝く浄土への道』を書いていらっしゃる山上光俊上人をお迎えして、10月2日例会が開かれました。よく効く煎じ薬のような御法話のほんの一部を・・・
雨がザーザー降る中を離陸した飛行機が、どんどん上昇して真暗な雨雲を突き抜けたら何とその雨雲の上は青空でした。雨がどしゃぶりでも雨雲の上はいつも青空なんです。私達はその黒雲の中に住んでいるようなもの。南無阿弥陀仏と称えてずっと集中して阿弥陀様の清らかな尊い御姿をいつも心の中に思いながら南無阿弥陀仏と称えていくと煩悩の執着心からスーッと離れていくことができる。
あたかも黒雲からサッとジェット機で出た青空のように、あれほど悲しいことであったのにお念仏を称えていると悲しい心の縛りから解き放されてくるんですね。あれほど手に入れたいと思って苦しみ悩んでいたけれど執着心が取れていって、心の広々とした青空に出てしまいますと、「あぁ、あんな物はあっても無くてもいい」。執着心がだんだん弱くなって心の縛りが弱くなって心が軽くなってくる。あれは絶対欲しい心からだんだん智慧が生まれますから次第に心の縛りが取れていく。
又あれほど憎たらしいと思った人でも、酷いことを言った人でも、南無阿弥陀仏と称えているとだんだん光をいただきますから「あの人はああいう性格の人だなぁ、又こちらもちょっと言い方が悪かったなぁ・・・」いずれにしてもその憎しみの気持ちがだんだん弱くなっていく。相手の立場に立ってみると無理もないなぁというような優しい気持ちが起こってくる。日常生活の煩悩の生老病死の苦しみの中に悩み腹立ち生活している心の黒雲の世界の中にいる私達でありますけれども、お念仏を称えていきますと、だんだん煩悩に縛られた貪りと怒りと劣かさ智慧のないそういう心から解き放たれて青空が見えてくる。清らかな世界が見えてくる。空の世界の実感ができてくる。つまり苦しみから解放された世界が開けてくる。南無阿弥陀仏と称えたなら私達一人一人の根本的な苦しみの原因になる煩悩を、光によって焼き尽くして下さるから心が広い方へ明るい方へ良きようにうまくものを受け止めて考えて生活できるようになる。
私達は何処から生まれてきたのか?大宇宙から生み出された私。それは間違いない。何をするために生まれたか?人間は生老病死の苦しみがありそれを解脱して本当の幸福、極楽を得るために人間界に生まれてきた。
本当の幸福とは生老病死を越えた悟りの世界、極楽の世界ですね。お念仏称えるということは生老病死の苦しみを根本から断ち切って苦しみを解脱するわけですから、本当の幸せを得ることができる。お念仏を称えて幸せにならないということは絶対にない。お念仏を正しく称える人は何か心が豊かで暖かい温もりがありますね。物がある無いにかかわらず、本当に南無阿弥陀仏を称えたなら仏様の中で生活しますからいつも安心、どこへ行っても安心、心が平和、そういう生活がこの世を終えた後の世、死んだ後まで続くということですね。皆さん死んだらどこへ行きたいですか?
地獄。この頃の科学教育を受けた方は地獄なんかあるものかと簡単に言うけれどやっぱりあるんです。人間に生まれながら地獄のような鬼のような心を持っていると鬼の境界に生まれていくんです。「チクショー!」と言うと畜生の心になってしまう。人間というものは人が悲しい時は自分も悲しいという哀れみの心を持ったもの。心の世界を大事にしている方はやはり仏様の世界に生まれ煩悩を持ちながらお浄土へ世界へ心を進めていくことができる。真正面に阿弥陀様が燦然と美しく尊く輝いてまします。母が一人子を命がけで守るような気持ちで私達一人一人を慈しんで慈愛の眼差しを下さっている。それを深く信じて、そしてお慕い申して永遠なる命の世界、お浄土に生まれたい、そういう願いを持って南無阿弥陀仏を称えて下さい。