光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成24年11月

西蓮寺例会報告

内藤 規利子

西蓮寺には白いサルスベリ、カンナ、赤と白の萩が咲いていました。薄(すすき)がツンと立っていて残暑の中にも秋を感じさせてくれました。書院には薄と萩が清楚に活けられていました。

9月16日、大田敬光様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

お彼岸も間近ということで阿弥陀経を皆でおあげしました。弁栄聖者のお慈悲のたより43をお読み下さいました。1月号に掲載済みですので略します。

奥様のオルガンで「月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ」「燈炬讃」「ほとけはつねに」を皆でうたいました。

月影は月の影ということではなく、昔の人の月影という言い方は、月の光そのものをいうのです。月の光が皆が寝ている時でもちゃんと回りを取り囲んで照らしていて下さるんだよ、気付けば本当に素晴らしい所に自分がいるということが分かる人になれるんだよ、ということを法然上人がこういう歌をうたって下さっています。法然上人の沢山あるお弟子さんの中で一伴知られているのが親鸞上人で、親鸞上人の和讃が

無明長夜の燈炬なり  智眼くらしと悲しむな
生死大海の船筏なり  罪障重しと歎かざれ

この世界はちょっと考えると暗闇みたいなもので、どうにもならない世界のように見えて、若い人など絶望してしまった自分は生きていてもしょうがないと言って自殺をする人、あるいは人を殺したりする人が随分出てきているが、もうちょっと生きていくということを大事に考えたら、あんな馬鹿なことをする人間にはならないんですよ。親鸞上人の時代でもそういう人はおったけれども、法然上人の教えを受けてお歌を作っておられる。燈炬とは「たいまつ」のこと、昔は懐中電灯なんか無いので木などに火を付けて明かりとした。八百年前ですけれど源平の戦いなどがあり、生きていることは何のために生きているんだ!というような酷い時代だった。それでも法然上人の教えを受けて、南無阿弥陀佛を称えながら生きていくということは、真っ暗な夜でも明かりを灯して生きていくように、その明かりを見る心というのは薄い心しかないけれど、むずかしい生き方の中の大海の船とか筏に乗っているようなものである。自分がいろんなことで罪作りなことばかりして、前の世の報いでこんな風になっているんじゃないかという気持ちに、ついなるけれども、そういう中に重く受けるところを、軽く受けさせていただき、明るく立ち上がらせて下さる。念仏をしっかり自分のものにして、南無阿弥陀佛と真剣にやって仏様に守っていただき、後押ししていただき、現在をそのまま生きていくことができます。

ここから内藤のことです。

きょうだい達でお茶をいただきながら蛙の話になりました。「昔は大きい蛙がぼってんぼってんと飛んでいたけれど全然いなくなっちゃったね、住みにくくなったんだね」。義弟が小さな「おたまじゃくし」を飼っていて、見たら足が出ている。

久しぶり~おたまじゃくしの足。他のが蛙になっているというので「水がめ」に見に行くと、1㎝ほどの浮草に乗っていて、びっくりして水に飛び込んでアップアップ?溺れる~それでもさすが蛙、顔を出して一件落着。あんな小さな蛙を見たのは初めて・・・。上の妹はテレビで、蛙がおたまじゃくしを背負っていて、ちょうど良い水溜まりを見つけて一匹ずつ下していくという話をしていて、私もテレビで見てびっくりした話、蛙のお父さんが子育てをしていて、卵を池で生むと天敵がいるので、水溜まりの中に生んで、おたまじゃくしになったのを何百匹もあちこちの水溜まりを連れ歩いて育てていて、ある日水が少なくなっておたまじゃくしが危なくなったら、隣の水溜まりから足で土をせっせと寄せて、水路を作り水を引いておたまじゃくしを助けている。蛙が・・・。こんなことってあるの健気なことを・・。今は人間さえ子育てが下手になって中には死なせてしまうこともあるのに・・。以前お墓参りに行った時、主人が「蛙が逃げないんだわ」といいながら花筒に乗せたまま水替えに来て、これは珍しい!とド・アップでカメラを向けても平気の平左。いくら下そうとしても退かない。そのうち私の腕に乗ってしまい居座っている。「そう前の所へ帰りたいの?」と家の墓地へ行くと下りてその辺にいる。アップで撮った蛙の顔は恐竜のよう。よほど家がお気に入りの様子、前の世からの御縁かなとかわいく思いました。

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