西蓮寺例会
内藤規利子
ついこの間、雪が舞ったというのに西蓮寺はすっかり春!! 金柑が生っていて桜、八重桜が咲き枝垂桜が咲き始め、沈丁花、ボケ、レンギョウ、赤紫のツツジ、赤白の椿、赤白染分けの椿、花桃、木蓮、サンシュユなどが咲き玄関前には幾鉢ものクリスマスローズが。まだ何かあったような…。3月30日、大田敬光上人御指導で例会が開かれました。
御法話の一部です。
浄土宗のお経本の中、2頁
三宝礼(真心を捧げて仏宝、法宝、僧宝の三宝を礼拝します)
一心敬礼、十方法界常住、仏(上礼)
一心敬礼、十方法界常住、法(上礼)
一心敬礼、十方法界常住、僧(上礼)
仏法僧の三つをお敬い致します。この三つはお宝物である。「三宝礼」という呼び名でこの言葉を言っているんですね。仏様と仏様の教えを仏法という。それを大切にする人達を僧という。僧とは昔からお坊さんという言い方で皆さん僧侶とか言って下さるんですが、僧というのは皆さんのように仏心を持って下さる人が二人以上集まって下さると僧という。インドから来ている言葉でサンガという。悟りを得られた方は仏陀となられる。普通のお宝ではない大きな宝物。
普通の宝石みたいなお宝は盗られたらどうにもならない。そんな物は本物の宝ではない。本物のお宝が仏法僧、仏法僧の三つのお宝をおまいりさせていただける。聖徳太子もそういうことを知っておられて篤く三宝を敬うと憲法の二ヶ条にある。一番初めは和を以って貴しと為す。仲良しでいきなさいよ。仲良くしていけないようなことでは、どんなに良いことを言ってもダメ。仲良くするにはどうしたらいいのか一生懸命考えなさい。実行しなさい。それにはどうしたらいいか。篤く三宝を敬いなさい。仏様の教えの実行。そのような形で残っておればそういうものは本当に大事だと思う気持ちがもっと生まれなければいけない。それを大事にする集団の力をサンガという。お坊さんばかりでなく一般の方々の気持ちがずうっと増えなきゃね本当の仏教国とは言えない。聖徳太子が出て下さったお陰で日本の国は幸せしとるんです。昔の人は漢文が読めたし書けたし理解しやすかったがこの頃の人は漢文を勉強する機会がなくなっているから昔のことをそのまま受け取ってもらおうということは無理なんです。弁栄聖者が漢文だけのお経さまだけでは分からないだろうと思って「私が分かりやすいものにしよう」と思ってまとめられたのが礼拝儀なんです。弁栄聖者は「浄土宗のお経のお焼香の時の言葉とか三宝を敬っていくというようなことは私が言わなくても浄土宗の方で教えているから分かっているであろうから私は中味の方、アミダ様と自分がどうしたら一つになれるかということを中心に言う」ということでこの礼拝儀はできておるというようなこういう特徴があると私は思うんですが皆さんはいかがでしょうかねぇ。ここを読んでみるとアミダ様と一つになる時の仕方が全部これでどこを取り上げてみてもそれでできますよ。
最初の「至心に帰命す」でも至心…真心をもって、帰命する…命を投げ出しても惜しゅうないと思っています。帰命とはそういう字でしょ、命を帰す…自分が死んだ後どこへ行ったらいいのか? アミダ様まかせにして何も心配ないよという。中味は法身報身応身の聖き名に帰命し奉つる。名前に頭を下げます。名前にとは言葉ですね。南無阿弥陀仏ということですよ。南無阿弥陀仏の中に全部込められているからこれに全部おまかせして自分はこれで大地震大津波が来るかもしれんがどんな時でも何が起こっても意識がある間は南無阿弥陀仏さえあればアミダ様が救って下さると私は聞いておりますから心配ないというそういうことを一言で南無阿弥陀仏という。そういう気持ちでおらないといかんのですよ。死ぬ時でも何でも…。
いつか私達は死にますからね。自分達の命がどこで終わるか分からんのですよ。それでも私は満足だというこれだけのことを受け取らせてもらったら何も心配いらないよ。これを一言で言ったら南無阿弥陀仏を心から称えられる。アミダ様任せで私の命はでき上っているのだから私の命だと思っているけれどもアミダ様が支えて下さってこういう人間にさせて下さっている。今の命が本当の大事なことなんです。今の時間をこういうことに使わせてもらえば言うことない時間ですよ。今は世界でもいろんな問題が起こっている。その中でも今を大事にして仲良くいくということのために篤く三宝を敬うという気持ちを持ちながら生きていくという気持ちになったらそれが一番大切な道につながっているんじゃないでしょうかねぇ。
ここから内藤のことです。
この度、私は脚の骨折で入院手術。「30日の例会までには退院しなくては…」と。ようやく間に合いよかったです。その時のことは話せば長いことながら…になりますのでいつか女性の頁に「ずっこけ骨折体験記」書かせていただこうかなと思っています。