東京光明会1月例会
植西 武子
◇日時 1月9日(月)10時30分~14時30分
◇場所 一行院
◇導師 八木季生上人
◇参加者 19名
毎年1月例会は新年会を兼ねて行われます。約1時間お念仏をして、礼拝儀をあげ、聖歌「聖きみくに」を歌いました。12時20分より年頭法話、そして新年会となりました。
ご法話
概要は「浄土三部経」の内の「観無量寿経」についてでした。
※導入として観無量寿経に書かれている物語りをお話下さいました。昔、インドのある国の阿闍世王子は友達に王である父親を殺せとそそのかされる。そして父を餓死させるべく幽閉する。しかし父はなかなか餓死しない。不思議に思った王子は調べてみると、母である韋提希夫人が体に蜂蜜を塗って、毎日王に面会してそれをなめさせていたことが判明した。怒った王子は母をも幽閉した。大変悲しんだ夫人はどうすればこのような悲しみから抜け出し、心の安寧が得られるのかとお釈迦様に相談した。この内容を絵に表したのが「変相図」または「観経曼荼羅」である。
※さらに話をすすめて観無量寿経の述べられている「十六観法」の第9番目にあたる「真身観」について話されました。その中に「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」なる文言がある。これこそ観無量寿経の神髄であり、エッセンスである。なお、お経ではこの文言の前に「一々」という言葉がついている。「この一々とは一人ひとりにふさわしいお光明を与えて下さるという深い意味が包含されている」とお上人様はお話しくださいました。
※また、聖徳太子についても言及されました。太子は非常に熱心な仏教信者であり、仏教の擁護、普及に貢献され、「世間虚仮 唯仏是真」なる名言を残されている。この言葉は「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と共に我々の信仰上のキーワードとして「真実の弥陀の声のみを信じて生きることが大切である。どうかこの一年もこれを戴いてそれぞれにお励み下さい」と結ばれました。
【新年会】
ご法話が終わって庫裡に下がってきますと既に新年会の会場が整えられておりました。卓上には素敵なお弁当に薄紅色の梅の和菓子、葉つきに大きなミカン等が並び、お正月気分を満喫することができました。奥様や世話係の方々がお骨折り下さいました。お酒で乾杯をして、会はなごやかな雰囲気で始まりました。いつもの茶話会に比べて時間に余裕がありますので皆さんもゆったりとした気持ちで楽しく歓談しました。会も半ば頃になりますと、例年のように一人ひとりが年頭所感を述べることになっています。自分の仏縁について語る人、宗教体験について語る人、それぞれお話に感じ入ることが多くありました。
八木上人は徳本行者のお墓のすぐ隣に弁栄聖者のお墓ができたことをとても喜んでおられました。一行院は徳川幕府が徳本行者のために建立した由緒あるお寺です。そこにまた弁栄聖者のお墓ができたことに深い縁を感じます。
また、最高齢の河村昌一先生も徳本行者について語られ、自分の感想も含む徳本行者のお詩を紹介して下さいました。
不老門
いつも心は十八の
願に乗ずる身こそ安けれ
元気に新年を迎えることができたこと、ありがたいお念仏のご縁を頂いたことに感謝し、本年も一層精進しようとそれぞれに誓いました。おいしいご馳走と楽しい会話に満足して宴は幕を閉じました。
増上寺 御忌会
御忌会とは浄土宗の開祖法然上人のご命日に法要を修する法会のことです。古来その御命日である1月25日に行われてきましたが、寒い時期でもあることから、明治時代の頃より御誕生日である4月に行われるようになったそうです。
増上寺(港区芝公園)では4月5日(水)~7日(金)の日程で法要が行われます。
一行院住職の八木季生上人が4月6日にこの御忌会の大役である唱導師をお勤めされます。この日は13時より法話があり、練り行列や法要が営まれます。東京光明会から数十名が参加することになっています。数年前に一般見学者としてお練り行列を見たことがありましたが、交通も遮断する非常に大規模なものです。可愛い稚児行列や寺庭夫人による詠歌団も加わって華やかな雰囲気を醸し出しておりました。
八木上人のご活躍と当日の好天を心より念じています。
横浜光明会
犬飼 春雄
修養会は1月11日午後1時より3時まで 関本唱代氏宅(藤沢市小塚)で開かれました。維那は山本治貞氏、出席8名。
晨朝の礼拝・帰命三礼・至心に帰命す・如来光明歎徳章・至心に讃礼す・光明摂取の文・念仏三昧・総回向の文・至心に発願す・帰命三礼・聖歌。
【談話会】
- A氏
- 最近発生した幼少児誘拐・殺人は世の人を驚かせた。今の小学生は大人を疑いの眼で見ている。これを払拭するには大変長時間かかる。私は現在登下校の子と挨拶を交わせる。そのようなきっかけだったか今思い出せないが、交わす言葉の中に仏縁が潜んでいたのか。
◆子供側から、安心・安全のおじさんの存在は絶対に必要で探し求めているはず。子供も私(A)も一歩前に進むきっかけがある時間を大人は予知して子供を抱くようにありたい。慈悲の心であろう。 - B氏
- 光明学園に孫が入学(親子二代)した。和太鼓部に入った。練習を通して心身の成長がわかる。この雰囲気が保持増進することを期待したい。
◆今は宗教的雰囲気と言わなくとも、その気配はうかがえる。その技(わざ)の上達は、精神へ及ぶのが成り行きで両者の統合こそ彼岸であろう。青年のエネルギー発散と受容が保護者の愛となる。 - C氏
- 私は修養関係の小冊子をビニール袋に入れて持ち歩く。乗り物の車中等で読む。短い文だから読後の感想も思いつく。何か得をした気分になる時もある。
◆感想を題名の下に書きとめておくと、再度の出会いに印象深い。
三氏の談話は「仏縁」とうけとめられる。参会者が持ち帰り、各々が結実するのを期待される。
高橋源次居士を偲ぶ~弁栄聖者に遇われた最後の人
久しく入院中のところ、1月27日浄土に帰られました。行年96歳。
2月1日、告別式が横浜久保山光明寺ご住職を導師として行われました。戒名 源教念道居士。
居士は、少年のころ弁栄聖者の当麻無量光寺晋山式(大正7年10月22日)を拝観され、翌年4月開園の光明学園に入園、無量光寺庫裡2階の教場で勉学されました。その後、鎌倉学校を卒業され光明学園に奉職、副校長として岡本校長を助けて学園の基盤確立・発展に尽力されました。笹本戒浄上人の教化を受けられ、横浜光明会の主班者として又関東支部顧問としてみ教えの発展に尽くされました。
聖者直々の教化を受けられた居士の尊いご一生を偲び、謹んでご冥福を祈念します。
合掌
河村昌一
光明園1月例会
植西 武子
1月15日(日)10時30分~15時30分、光明園で、「一行三昧の会」。導師が河波定昌上人、参加者20名。
新年のご挨拶を兼ねて「一行三昧の会」に出席しました。まだお正月気分が抜けきれていない日曜日の街は人通りも少なくひっそりとしておりました。
本来お念仏のみの会ですが、お正月に因んで「若水」に関する法話が30分程度ありました。
ご法話「若水とH2O」
日本では古来、元旦には「若水」を汲んで神仏に供え、私たちもそれをいただく習慣があった。若水とは早朝寅の刻(午前2時から3時頃までの間、水が最も陽気に充ち、神聖さの充満する時刻)、その水を戴いて1年間の邪気を払うというのである。
不思議なことにドイツ語にも若水すなわち、ダス ユンゲ ヴァッサー(das junge Wasser)のことが論述されている。(F・ハイラー「宗教の現象形態と本質」本邦未訳)。古代のキリスト教化される以前のドイツ民族も日本人と同様、自然に神を拝んでいた。ただハイラーは20世紀最大の宗教学者の1人であり、その博学の故に、日本語の「若水」を知っていたことも考えられなくもない。
水は単なるH2Oにとどまるものではなく、その水には不思議な力が備わっていて、時間と共に変化するといったことも考えられる。それは実に阿弥陀仏(法身)が大自然を通して御はたらきたもうているのでもある。「無量寿経」(巻上)にも、「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難」の文がある。仏教の受容以前、以後の時空の枠を超えて阿弥陀仏の神力は現実となって常にはたらきたもうのである。
茶話会
いつもより参加者が少なく特に女性は4名でした。その中で菅野真美子さんが今回も大木魚を担当され、大変心強く思いました。
今月は「一行三昧の会」にも参加でき、できればこれからもそうしたいと思いました。この会も「念仏と法話の会」と同様にお念仏の後、お上人様を囲んでお茶を頂きながら歓談しました。あちこちで会話がはずみ、みなさん去りがたい気分でしたが、4時前に散会しました。
◇日時 1月29日(日)10時30分~15時30分
◇場所 光明園
◇内容 念仏と法話の会
◇導師 河波定昌上人
◇参加者 28名
大寒の最中ながら、やわらかい陽気がふりそそぐ好天気に恵まれました。遅れて正午に光明園に着きますと、お昼の休憩で外に食事に行かれている方もあり、何人かが2ヶ所でテーブルを囲んでおられました。
午前に伊藤旭栄先生のご法話が予定されていましたが、高熱のため中止となり、お上人様が急遽ご法話をなさって、午後から急用ですでに九州方面に向かわれておりました。ご法話を聴きそびれ大変残念に思うと共に、大きな穴が開いたように感じ、改めてその存在感を認識しました。(ご法話はお上人様が後日まとめをお送り下さいました)
ご法話
超日月光の名前の由来は「無量寿経」に説かれるところであり、自然界に輝く太陽の百千万億以上もの輝きが語られている。聖者も「日月摩尼の光さえ、隠れて墨のごとくなる」(光願巍々讃)と讃じられている。その智悲の光の中で日々の生活を過ごさせていただくのが光明生活の眼目である。
「聖意を己が意とし」とは如来の本願に生かされ、その本願がわが心の内容となってゆくことである。「三業四威儀に行為なり」における三業とは身口意のいとなみのことであるが、それらの全体がそのまま如来の側からのはたらきとなってゆくのである。
弘法大師(空海)には中国密教から伝承された「渇摩曼荼羅」の思想があるが、カツマとは行為、業のことであり、すなわち私たちの行為が限りなく荘厳せられてゆくことを意味している。平生日常の行為であっても、そこの如来が出現してゆくのである。四威儀とは行往坐臥の四つでそれぞれが重要であることは言うまでもないが、特に臥についても重視すべきであろう。白隠禅師は臥禅を説かれているが、それはいわゆる寝ながらも念仏することである。人生の3分の1は寝ているのであるから、臥もまたかけがえのない念仏精進の機縁とすべくである。老人になって寝たきりになっても臥禅(念仏三昧)する人とそうでない人とでは雲泥の差を生じることにもなるのである。
茶話会
午後1時、菅野真美子さんの「今から午後のお念仏を始めます」というかけ声で一同席に着きました。菅野さんは今回、大木魚だけでなく維那の役も勤められました。大きな声でしっかりとその任を果たされました。茶話会の時に本人からみなさんの声に合わせる音程のとり方がむずかしいという反省がありました。何人かの経験者からのアドバイスを受けて、励まされている姿がとても頼もしい限りです。また若い方に期待をかけて温かい眼差しでアドバイスされている経験者の姿も尊いものと思いました。
お上人様がおられませんでしたが、いつものように歓談しました。ご法話や茶道についての話題から、次第に最高齢の河村昌一先生にフォーカス化され、いろいろ尊いお話を伺いました。入信の動機や若い頃、出勤前に笹本戒浄上人と早朝4時より3時間のお念仏を1年間続けられたというお話を伺いました。暖房設備のない厳寒の本堂でのお念仏は想像に余りあるものがあります。97歳で目も耳も記憶力も衰えないで矍鑠としておられる今日のお姿は正しく「念仏の功徳」と感嘆するばかりです。また、先輩の尊い経験談に耳を傾け熱心にメモをとる若い方の姿にも感心致しました。何事にも中途半端で厳しさに欠ける我が身を自省し、大きな刺激を頂き、決意新たに帰路に着きました。