光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 71 歓喜光

 感情を融合し、霊に安立し霊福を感受せしむるを歓喜光と名づく。感情とは人の心理作用の中に苦楽を感ずる精神作用にして、喜怒哀楽、愛憎の如きは之を感情と名づく。人の心理活動中、最感の度の強きものなり。人の天性は苦悩・恐怖・憂…

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発熱の文 70 清浄光 その二

『法華経』に「六根清浄なる時は十方一切の色声香味触法として悉く微妙至美ならざるはなし」と説けり。自己の主観の美化を求めず、単に客観の浄土を求むるが如きは甚だ仏教の意にあらず。如来清浄光にて衆生の心霊を化するが故に、其美化…

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発熱の文 69 清浄光 その一

 感覚を美化し八面玲瓏、感性清浄なるを清浄光と名づく。心理感覚作用は、人と外界との関係が生理的の感官たる視・聴・嗅・味・触に感覚する作用なり。人の天然的の感官は、見聞悉く心情を染汚するが故に、感覚客観を塵境と名づく。外物…

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発熱の文 68 光明の反映

 信仰の要、天体に太陽在りて、其発するエネルギーによらざれば、地上の万物は生存できぬと同じく、心霊界に無量光仏の霊光によらざれば霊性は生活できぬ。  天に太陽は、光放ちつつあるも、瓦や礫には反映せぬ。霊界の日輪は照らしあ…

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発熱の文 67 苦難を甘受する

 人が此世に生れついていでたるは、ただ肉体の快楽をもて、幸福と申すことにてはあらざるなり。此の世に出でたる目的は、種々の苦にも難にも遭遇して、一心を磨き、而して大ミオヤの御恵みと、御ひかりとをたのみて、大ミオヤの御むねに…

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発熱の文 66 安心と起行

あなたの安心は、かようでしょうか。  あみだ如来よ。あなたの外に決して他の神や仏におまかせ申しませぬ。  あなたの外に、私の大ミオヤは有りませぬ。  あなたの外に、妾の*魂を御まかせ申す御方は有りません。  あなたの外に…

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発熱の文 65 拍手の音

 禅の公案に「隻手の音を聞」と云うあり。禅は形式的の悟道なれば、自己の先天的の自性を開き、即ち無声の音を聞くに、無声の声を以て自性を見るの手段とす。  禅には宗教的客体の神を立てず。自己の本来の自性顕れ来る処に見性成仏す…

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発熱の文 64 霊の恋愛

 衆生と如来とは同一法身を体とするが故に、理性に於ては一致すべき理あるも、内容実質に於ては、如来の聖霊的純潔なると、衆生の内容の煩悩罪悪なるといかにして親愛相和することを得べきぞ、との疑問起らん。然れども、この反対せる異…

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発熱の文 63 宗教革命の準備

 此程、風邪に侵され、おしてやった為に大にいためられ候。されども時間をさまたげられぬは、これも大ミオヤの思召と存候て深く感謝する事に候。実におもえば、いつ何時に御引上の命令を賜わるかと存候えば、此捨果つる身体を何程たりと…

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発熱の文 62 主人公を主我から本尊に

 吾人、自己の心中に、帰命信頼すべき本尊いまだ安置せざるむかしをしのぶ時は、まことに自ら恥じ自ら恐る。むかしの生れしままの我心情のあさましさよ。面にこそあらわれね、いかり、憎、嫉、慢、貪などのすべての罪悪の要素として心裏…

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