光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 56 航海の譬え

 吾聖きによる友なる湯地夫人照子きみよ、この人生は数十年間の航海中にてあれば、まことに日和よき日に甲板の上に共に談笑し遊戯し運動し舞踊し、歓楽のなかに船の上なるを打ち忘れて過る日もあれば、忽ちにうってかわりて天候が変じて…

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発熱の文 55 遠大なる望み

 理想のぼさつとして生活せるもの、遠大なるのぞみなしに日をくらすベからず。望みなしにあるものは、すでに心霊死したるものなり。いかなる望みかこれなる。聖国の世つぎたらんことなり。聖国の世つぎとならんには、その資格を備えざる…

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発熱の文 54 炭の譬え

 黒き炭に火がつく時は、おき火の紅赤にまた熱を発する如く、我らが煩悩の罪悪の闇黒も、如来の慈光の加わる時は、恰も黒炭に火の燃つつある如く、若し炭を離れて火の燃ることなき如く、我らが煩悩の心にこそ如来の慈光は燃ゆべけれ。あ…

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発熱の文 53 慈しみ深き吾大オミヤ

 如来の恩寵は吾胸中に存在してつねに暖炉を発し、我は如来恩寵の懐に在りて感謝禁じがたし。慈悲の温容は寐ても離れず、なさけ深き面かげはさめてもわすれがたく、朝な朝なに仏を懐きて起き、夜な夜なは仏を懐きて寐ね、我いかる時は我…

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発熱の文 52 真実と方便

 宗教伝播につきて真実と方便とあり。方便とは方法便宜にて、能化の師より所化の人に宗教の必要を感ぜしめ、求道心を発す処の動機を与うこと。未だ宗教心なきものの為に、或は演説等によりて人は宗教なくては終局の目的も明らかにならず…

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発熱の文 51 霊乳(ちち)

 私どもには霊性と肉体とがありて、肉体は人の子で、霊性は如来の子である。肉体も母親の乳汁にて養われるように、霊性は如来の光明にて育てられるのである。肉体も赤児がはじめて産声を揚げたときには、母の顔さえ見えねども、なく声を…

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発熱の文 50 天地の気にかなう

 歓喜光裡に新年を迎え、無量寿の聖名を称えて寿ほぎ奉つり候。  寒風肌にさむき夜も、あたたかなる大ミオヤの慈悲のふところにすむこころよさ。  其のちはいかが在らせ候哉。きょうはよき御天気とおもえば、また翌日は風がふき出す…

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発熱の文 49 救我と度我

 若し念仏は、救我の一面にして真の幸福を得るのみを以て目的とする時は、此の娑婆、即ち忍土に処して空しく生活の苦を受くるよりは、疾く浄土に往きて法性の常楽を受くるに如かじ。其反面なる度我の念仏、即ち人生を光明中に向上の行路…

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発熱の文 48 微妙の霊感

 私には御名を呼び上る毎に微妙の霊感を以て答え玉うことなれば、ましてあなたに対して御答ない筈はない。然れば如何に心を致して御名を呼び上ぐれば、ミオヤの御答の響が聞えあげられるであろうとなれば、私は斯ように心を至して念じ上…

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発熱の文 47 念仏の姿勢

 念仏の行者一心金剛の如く、勇猛精進なること不動明王の如くなるべし。脳裡に一物もおかず。只能帰の心、所帰あみだ仏の真金色、円光徹照するを執持し、一心不乱に脳裡に充る力、眼睛を電掣。眼睛の掣電するは、能帰の心が所帰のあみだ…

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