光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 32 同一の如来

 往昔、釈尊が霊山説法の会座に在ませし時に、あみだ如来の光明は釈尊の心想中に照り輝きて、また善導大師、法然上人の心念中に入り玉えり。如来も今あなたが至誠心に光明名号を称する時に、あみだ如来はあなたの頭を照らして心のうちに…

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発熱の文 31 日常の試験

 天地万物のあらゆる備を以て、我々をいかして下さる其目的は何の為にてあると申せば、此人間生涯に於て、報身如来の光明をうけて、この精神を大ミオヤの思召にかなうような魂にさせて下さる為にて候。如来さまは衆生のたましいの本の大…

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発熱の文 30 人格的な如来

 如来は神聖と慈悲の尊容を真向にして、一切の時、一切の処に在ます。今も此身を照鑑し玉うなりと憶い上れば、自ら恭敬の念生じ候。 私共のような気ままものには、只口に称名する計りであると、尊敬の念も生じ難く候えども、絶対人格の…

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発熱の文 29 病床は三昧道場

 弥陀三昧と云うことは、余のすべてのこころを捨て、一に弥陀の光明中に精神を投込んでしまうことなのです。もう宇宙間は如来の光明に充満て、一切の物は悉く沈没して何もない。只大光明中につつまれ摂められつつ在るのみという観念であ…

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発熱の文 28 好事魔多し

 好事魔事多しとは古来の諺、釈迦如来が六年修行いまに満願と成りて正覚を成就せんとするに先だちて、天の第六魔王が襲い来りて、有らゆる妨害を加えたけれども、それをついに降伏して正覚を成じなされたと録されてある。 今皓月法尼が…

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発熱の文 27 物質主義

 物質主義の文明は、進めばすすむに随い只互に「強者伏弱」、「迭相呑噬」と云ような工合で、只々互に向うの肉を?み、骨をかぢり合うて、楽しみか苦しみかしらず、それが業か報かしらず、命か非命かわからぬが、現に欧洲の野に無数の獣…

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発熱の文 26 太陽の光

 朝寤ざめて東の方より昇る旭日のさしのぼる姿色を瞻ても、清らかに新らたにいかにも快活に、海の水で貌を洗て、而していかにも御きげんよき御目ざめの御貌は、ほんとうに清浄光の権化とより外に思われぬ計りか、実に歓喜に充みたされて…

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発熱の文 25 釈尊を模範とせよ

 内に養いつつ外面的生活の算計文芸等のすべての科学及び技能をも修めざるべからず。遊技も野球も辞すべきでない。教祖が下為れし如くに悉く為よ。而も勇悍にあらん限の力を竭せ。色味即ち結婚も而も正式に神聖にせよ。是れまた造化の命…

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発熱の文 24 勤苦六年

 外衣を装うよりは内性の妙服を厳にせよ。傲慢の頭髪を除きて謙遜にして道を求め、剛石の上にも六年の勤苦を経て霊性を鍛え、五濁の汚を此俗を、霊なる流れにて浴ぎ、人間を以て神に近づくに随って、禽獣も尚親しむばかりに一心を金剛石…

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発熱の文 23 三昧

 三昧とは物我無二生仏一致の心理なり。光明讃称の時は讃声に神が入って声と心と共に仏となるなり。無量光の声に心も仏心と相応することなり。讃礼の時は即心仏と一致して、無二となることなり。日光を見れば日と心と冥合し、然らば日光…

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