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発熱の文

発熱の文 27 物質主義


 物質主義の文明は、進めばすすむに随い只互に「強者伏弱」、「迭相呑噬」と云ような工合で、只々互に向うの肉を?み、骨をかぢり合うて、楽しみか苦しみかしらず、それが業か報かしらず、命か非命かわからぬが、現に欧洲の野に無数の獣類がかみ合をして居ることは事実である。
 おもうに輓近人間が、大ミオヤの御恩に活き働らき在ることを忘れ、己が使命をよ所にして、只肉の欲を恣きままにして、大ミオヤの子たる同胞たるを忘れ傲慢非礼、教ゆるに手のつけようなきにいたる。そこで、大ミオヤが、人間から堕落して獣的性に為たる物共を懲らさんが為め、人類の使命を自覚させんが為めに、物質欲の非なるを悟らしめんが為に、斯はなされ給いしにはあらずやとおもわれ候。懲り果てざればとても目は醒めぬ。


現代語訳

物質主義の文明は、進めば進むに随ってただお互いに〔傷つけ合うようになる。それは『無量寿経』に説かれている〕「強き者は弱きものを服従させ」、「互いに呑み込み、噛みつき合っている」というような具合である。ただただ互に相手の肉を噛み、骨をかぢり合って、楽しみであるか、苦しみであるかを知らず、それが業であるか報であるかも知らず、天命かそうでないかは分からないが、現に欧州では〔大戦によって〕無数の獣類のように人間が噛み合い〔殺し合い〕をしていることは事実である。
おもうに近頃、人間が、大ミオヤ〔である阿弥陀如来〕の御恩〔のお陰〕によって活き働いていることを忘れ、己が使命をよそにして、ただ肉の欲を恣きままにして、〔すべての者が〕大ミオヤの子である同胞ということを忘れ、傲慢非礼、〔このようになってしまうとたとえ真理を〕教えても〔聞く耳をもたず〕手のつけようがなくなってしまう。そこで、大ミオヤが、人間から堕落し獣的性になってはならぬと人類を懲戒するために、人類の使命を自覚させるために、物質欲の〔充足が人類の使命ではない〕ことを悟らせるために、このような〔苦しみ、悲しみ〕を用意なされたのではないかと思われてくる。〔人間は〕懲り果てなければ、とても目は醒めない。

解説

出典

『御慈悲のたより』上巻38~39頁、『ひかり』平成29年2月号参照

掲載

機関誌ひかり第726号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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