光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 36 過去帳の序

過去帳序  亡き人の忌日には、香花灯明等を供して至心に回向なされかし。  何かに意を用いて回向すべきぞとなれば、今後世を通し、即ち迷途の闇をも照し玉うは、独り無量光如来の光明のみなれば、至心に光明名号を称えて是の如くに回…

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発熱の文 35 何の為に?

 人間は何の為に生れて来たのでしょう。食うては寝て、寝ては起き、毎日毎日同じ事を繰り返し繰り返しして、しまいにはどうなってしまうのでしょう。年は暮れても、また新しい年はくりかえして改めて来る。我々のからだはどうなってしま…

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発熱の文 34 資格の取得

 どなたでも何の為に此世に生れたのであるかは、深きわけはわからぬのであります。さればこそ釈迦如来として此世に御出ましなされて、あみだ如来という大ミオヤの在ますということを教えて、大ミオヤの御もとに帰ることの得らるる資格を…

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発熱の文 33 今光明中

 実に世は無常遷流、しばらくも止まることなしに過ぎゆきぬ。この無常を観ずるにつきても、彼の常住不変の大ミオヤの御許のなつかしきを感じられて、かたちはしばしかりのやどりなれども、こころは矢張り此ままながら、永遠常住の大ミオ…

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発熱の文 32 同一の如来

 往昔、釈尊が霊山説法の会座に在ませし時に、あみだ如来の光明は釈尊の心想中に照り輝きて、また善導大師、法然上人の心念中に入り玉えり。如来も今あなたが至誠心に光明名号を称する時に、あみだ如来はあなたの頭を照らして心のうちに…

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発熱の文 31 日常の試験

 天地万物のあらゆる備を以て、我々をいかして下さる其目的は何の為にてあると申せば、此人間生涯に於て、報身如来の光明をうけて、この精神を大ミオヤの思召にかなうような魂にさせて下さる為にて候。如来さまは衆生のたましいの本の大…

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発熱の文 30 人格的な如来

 如来は神聖と慈悲の尊容を真向にして、一切の時、一切の処に在ます。今も此身を照鑑し玉うなりと憶い上れば、自ら恭敬の念生じ候。 私共のような気ままものには、只口に称名する計りであると、尊敬の念も生じ難く候えども、絶対人格の…

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発熱の文 29 病床は三昧道場

 弥陀三昧と云うことは、余のすべてのこころを捨て、一に弥陀の光明中に精神を投込んでしまうことなのです。もう宇宙間は如来の光明に充満て、一切の物は悉く沈没して何もない。只大光明中につつまれ摂められつつ在るのみという観念であ…

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発熱の文 28 好事魔多し

 好事魔事多しとは古来の諺、釈迦如来が六年修行いまに満願と成りて正覚を成就せんとするに先だちて、天の第六魔王が襲い来りて、有らゆる妨害を加えたけれども、それをついに降伏して正覚を成じなされたと録されてある。 今皓月法尼が…

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発熱の文 27 物質主義

 物質主義の文明は、進めばすすむに随い只互に「強者伏弱」、「迭相呑噬」と云ような工合で、只々互に向うの肉を?み、骨をかぢり合うて、楽しみか苦しみかしらず、それが業か報かしらず、命か非命かわからぬが、現に欧洲の野に無数の獣…

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