光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成18年11月

東京光明会9月例会

花岡 こう

◇日時 9月16日13時~16時30分◇場所 一行院
◇講師 八木季生上人
◇参加者 25名

天気予報がちょっと外れ、お陰様で昼頃から穏やかな秋日和となりました。

東京光明会の長老で光明会に尽くされ、一行院の例会には熱心に参加されておられました河野恒雄先生が、7月29日95歳で、お浄土へお還りになりました。例会で、四十九日のご回向を申し上げ、一同心からご冥福をお祈り申し上げました。

シリーズでお話下さいました十二光仏もいよいよ終わりとなりました。

今日からは山崎弁誠上人の著書「辯栄上人の片影」の中からいろいろお話し下さることになりました。松戸市の善光寺は聖者が創建されたお寺ですが、留守がちの聖者に代わって寺を守っておられたご先代の弁誠上人が、折りにふれ弁栄聖者の仰せられたお言葉やエピソード等をまとめられたもので、聖者の一面を伺い知る事ができ、有難く思います。

三帰戒について

仏教に入門するためには三帰戒が必要。三帰戒を受けて、はじめて仏教徒となる。仏、法、僧、の三宝に帰依すること。仏は仏陀のこと、慈父の所へ還る、つまり帰依仏。法は仏陀に還る方法のこと。方法とは南無阿弥陀仏を申すこと。僧はこの法を伝える人のこと。宗教には絶対帰依の感情が必要である。

本尊とは

或る仲の良い夫婦がいました。夫に急逝された妻は、立派な仏像をまつり、拝んでいましたが心が満たされません。弁栄聖者に相談されますと、聖者はこのような意味のことを仰せられました。

「どんなに立派な仏像をまつってもそれだけでは本尊とはなりません。本尊とは、心殿に宿って下さる霊応身でなくてはなりません。活ける本尊を心に安置することができなくては活ける信仰を得ることはできません」と。
それから夫人は熱心に念仏し、数年後聖者にお目にかかった時は歓喜の面持ちでした。
そこで聖者は次の様に詠まれました。

昨日まで鬼の住みにし胸殿も 今日弥陀尊の御堂とはなる

念仏は死ぬために申すのではありません

念仏は死ぬために申すのではなく、生きている間から弥陀の恩寵をこうむり、霊を養うために申すのであり、本有の霊性が無量寿如来の光明にふれ、卵の殻が割れて雛が孵るように生きて行くために申すのです。等のお話を伺いました。有難い一日に心から感謝してお寺を辞しました。寺庭のヤバネススキ(矢作薄)が美しい穂を揃え見送ってくれました。

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