東京光明会5月例会
花岡 こう
5月10日(土)13時~16時 一行寺で。
導師は八木季生上人、参加者13名。
前日まで、初夏の様な気候でしたのに、この日は3月中旬位の気温と急変し、雨が降り薄ら寒い日となりました。それにも拘わらず百歳の河村様はご子息様と共に早くからお念仏なさり、私共は励まされました。
ご法話
総本山智恩院名誉門跡でいらっしゃる中村康隆猊下が5月8日に百二歳で遷化遊ばされました。
猊下はお若い時弁栄上人にご縁があり、念仏の世界に入られたそうです。
弁栄聖者の八十回忌の折、智恩院で中村康隆猊下がお出まし下さり「私が今日ありますのは弁栄上人のおかげ」と仰せになられた事を思い出し、その折のお元気なお姿をお偲び申し上げました。今月の『弁栄上人の片影』はNO.180~NO.186まででした。
- ※位牌礼拝(No.185)
- 地方により仏壇に本尊を安置せず、位牌のみをまつりて香花灯明する風習あり。上人曰く「先ず中央に御本尊を安置すべきである」
(八木上人解説)
仏壇は中央に本尊をまつり、その両脇に位牌をまつるべきである。その位牌の霊を御救済下さる様お願いするのが正しい。位牌のみをまつって仏壇が位牌壇とならぬ要注意。この頃毎日の様に恐ろしい、おぞましい殺人事件が頻発しているが、その犯人を厳罰に処ずれば事件がなくなるというものでもない。家庭に仏壇をまつるのは大切で仏性が働く。こうしてこの様な事件をおこさない人間を作らなくてはならない。 - ※活ける本尊(No.186)
- 某婦人が誠に結構な御本尊を求め日々の香花礼拝しても信仰が進まない懊悩を訴えた事に対して上人曰く「アナタの御本尊は人間が仮に造られた御像であり、本当の御本尊ではない。本当の御本尊は吾れ吾れの心殿に宿り給ふ如来の霊応身でり我が心殿にこの活ける御本尊を御安置すれば信仰が確立する」と仰せられた。
(八木上人解説)
仏画や仏像は、私共の持っている仏性を活かす活ける御本尊を知らしめるための方便である。何も考えないで念仏するのではなく、如来様にお目にかかりたいという願いを持って一心にお念仏すれば、霊応心をいただく事によってその姿で如来様がお会い下さる・・・とお伝えして下さいました。
某婦人は三年後、弁栄上人に歓喜に満ちてる面持にて「おかげ様で心殿の中に活ける御本尊が請待できましたので日々喜び勇んで暮らして居ります」と感謝致しました。昨日まで鬼の住みにし胸殿も
今日弥陀尊の御堂とはなる
(弁栄上人のおうた)八木上人様が十年もかかって丹精して育てられたハンカチツリーが今年初めて花をつけました。とても珍しい不思議な花です。みどりの葉の繁みの中に白いハンカチを下げた様にひらひらと咲き、花がお寺を辞す私共を見送ってくれました。
光明園5月例会報告
植西 武子
一行三昧の会
5月16日(金)10時~16時、導師は金田昭教上人、参加者6名。
この日は都合が悪く参加できませんでしたので、田代直秀支部長に会の状況をお聞きしました。久しぶりに埼玉県の長岡由枝さんが小さなお子さんを連れて午後から参加、若い方が忙しい中を時間のやりくりして出席された熱意に殊の外うれしく思いました。少人数なのでいつもの道場ではなく、小さな部屋でのお念仏、こじんまりとした雰囲気がとても好評であったとお聞きしました。
金田上人は時には礼拝儀、聖歌、お慈悲のたより等を取り入れて、小休止を入れながら称名念仏をご指導下さったそうです。当日の様子を聞くにつけ、この貴重な機会を逸した事はとても残念でした。
念仏と法話の会
5月25日(日)10時~16時、導師は河波定昌上人、参加者40余名。
午前中は30数名でしたが、午後の法話の頃には会場が一杯になりました。比較的涼しい日でしたが、皆さんの懸命なお念仏の熱気で汗ばむほどでした。仏教塾の方々が練習を重ねて交替で大木魚を打っておられました。やっと心のさざ波が落ち着き始めた頃、ご法話の時間となりました。
ご法話
今月は『選択本願念仏集』と、二、三の経典を中心にお話を展開され、念仏の功徳(念仏をしていると心がだんだんと開かれていく)についてご講義下さいました。
- 『選択本願念仏集』は法然上人66歳の時に記されたものである。その文頭に「往生之業 念仏為先」と述べられている。これはまず念仏をしなさい、念仏する中で信を頂いていくと云う意味である。これに対して真宗では「念仏為本」である。
- 「選択とは一点に集中する、即ち「点化」を意味する。英語で点はpoint、ドイツ語ではpunktと云う。ラテン語のpunctusから来ている。「選択集」の16章(最後のところ)は、同じく法然上人著の『三昧発得集』と時代的に通じるところがある。「選択集」の中で「念仏の行 水月を感じて 昇降を得たり」と記されている。この歌は二つの内容を含んでいるので、二つに分けると分かり易い。
①水が月を感じて昇ることを得たり
②月が水を感じて降りることを得たり
(水=人の心 月=ほとけ)
水にウエイトを置くか月にウエイトを置くかによって少し異なってくるが、しかし二即一である。 - 「念性」とは念じることは住むことである。
弁栄上人はこれを次のように詠んでおられる。
「月をみて 月に心がすむときは 月こそおのが心なるらめ」
法然上人はこれを反対の立場から次のように詠んでおられる。
「月影の 至らぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ(浄土宗宗歌)」
「すむ」は澄む、住む、済む(完成する)の三義がある。法然上人の歌も弁栄上人の歌も加持の歌である。真言宗では加持を重視している。 - 『大日経』(詳しくは「毘慮遮那成仏神変加持経」7世紀後半成立した経典)に「仏日の影 心水に現ずるを 加と言い 衆生の心水 よく仏日を感ずるを持と言う」(空海『空悔『即身成仏義』)とある。法然上人のお歌『妄念の葦 繁けれど月宿たりと見えねども よくよく立ち入りて見れば 月宿るなり」は加持の加を詠んだものである。
- 『般舟三昧経』(1世紀後半)の中で「三力加被」について説かれている。「持」と「被」は同義である。真言宗では加持を主とするが、その6~7百年前に加被について説かれているのである。
- 「三力加被」とは①仏の威神力、②三昧定神力、③本功徳力である。
①仏の威神力については河波上人はその例として笹本戒浄上人との一瞬の出会いで念仏されるようになった大串法道上人の話を紹介されました。
②三昧定神力は念仏をして精神を集中していく中で、阿弥陀様の力が加わり、いつのまにか自分のものとなっていくのである。
③本功徳力については阿弥陀様の功徳か我々の功徳か、そんなことは問題ではない。我々とは仏性が備わっているのである。如来蔵のことばで表されている。「為衆開法蔵」、これを弁栄上人は「霊性開発」と表現された。- 念仏によって心が開かれていく段階として・・・
- 第一段階(intoの段階)=法然上人の月影の歌の「影」とは「如来の光明」のことである。如来の光明がワタシの中に入ってくる。即ちinto(英語でinfiuence、fluence、は流れるの意、ドイツ語でeinflicssen、「影響を与える」という意味を含む)である。『観無量寿経』の中に「加来法界身 入一切衆生心想中」とある。また、元照律師(宋時代)はこれを「識心にらん入」と表現している。
- 第2段階(inの段階)=「心にすむ」の「すむ」は「はたらく」を意味する。intoからinになる。そして仏が宿って化学変化がおこるのである。念仏していると存在意識が変革していく。この意識を宗教で捉えたのがキリスト教である。中でも東方教会が「神化」(theosisギリシャ語)なる表現を多用している。「霊化」、「光化」なる上人が多用されている表現はギリシャ正教と光明主義の合流が伺える。
- 第3段階(out ofの段階)=(ドイツ語ではaus Fliesszen)out ofは「外へ流れる」を意味する。パウロ(A・D70年頃)の手紙に「我々の心は神が宿り下さる神殿である」と記されている。イスラエル人にとって神殿は心の支えであった。エルサレムの神殿はローマ軍によって破壊されたが、「神殿は祈る人の心にある」と説いた。弁栄上人も同様に感じ、それを歌に詠んでおられる。
「念仏者の 心本尊は 六十万 十万億の 奥ゆきの堂」
弁栄上人にとって心殿とは天地一杯に広がる私たちの心そのものである」と結ばれました。
茶話会
いつも会場の都合で2か所に分かれて茶話会を持っていましたが、仏教塾の方々との交流を深めるため、出来るだけ集まって歓談しようということになりました。今回、期待していましたが、あいにく関東支部総会と重なり、大半が抜ける結果となりとても残念でした。総会の途中でお菓子を持って2階に上がって見ましたら、打ち解けて歓談されておりました。来月は是非仲間入りしたいと思っています。今月初めて参加された若い男性の方がありました。少しお話しましたが、不思議なご縁があるようでした。これからも続けて下さることを願っています。
光明修養会関東支部総会
5月25日(日)15時~17時、光明園応接室で。参加者は10名、委任状16通。
関東支部総会に先だって光明園役員会があり、年会費納入状況や光明園の運営状況について岸田年生責任役員から報告があり、光明園の維持運営について話し合いがありました。
関東支部総会では本部総会に引き続いて ①19年度の事業報告 ②19年度会計報告 ③20年度事業計画 ④20年度の予算審議などを行いました。
20年度の事業計画としては ①親子別時の開催 ②地区別教学研修会の開催 ③河波先生を囲む易しい仏教勉強会 ④念仏会と茶話会 ⑤弁栄聖者90回忌にむけての活動 ⑥「弁栄聖者ご祥当念仏会とリンゴ狩り」への協賛参加 ⑦広報普及活動等の事業などを計画し、役割分担を確認して活動が一層充実したものとなるように討議しました。