一行三昧の会
藤本 清孝
◇日時 9月12日(土)10時~16時
◇場所 光明園
◇導師 金田昭教上人
◇参加者 15名
8月はお休みでしたので、2ヶ月ぶりとなった会でした。法話の中心のテーマは「西方十万億土」のお話。信仰を求めるきっかけとなるお念仏の道は、①苦難によって ②人によって ③教えによって ④実践を通して、信じられ深められていく。今回の金田上人の法話は、前々回、前回に続くテーマ『信』の③教えによって信ず、というお話でした。
冒頭、夏休みはお念仏に精進されましたかとのお尋ね。自分の中の光明生活に対する強い目的動機という面と、さらにこのような場所にきて、人が集う環境に身を置き、念仏をすることによって、お念仏が人生の核となり、さらに真剣なものになっていきます。
ところで、時機相応の法門という言葉、教えというのはその時代その時代の人々に伝わるように説かれるということですが、法然上人も、弁栄聖者も表現こそ違え、その根底に流れるものは同じものです。情けないことに学生時代は仏教を時代遅れのお年寄りの教えと思っておりました。しかし、弁栄聖者の教えに出会って眼を開かされ、仏教、お念仏の教えが生き生きとし、全く別のものとなりました。
私は、それまでの問題意識として、なぜ今のことを言わないのか、お浄土の世界が西方十万億土の先にある、阿弥陀様は人の姿をしているけれど人が作り上げた幻想ではないか等思っておりました。しかし、浄土も娑婆世界も一つ。弁栄聖者は真正面に在ますと仰った。何処にでもいてくださるのだということです。
三経一論(浄土宗所依のお経等)によれば、阿弥陀様が今も説法されているという極楽浄土は
【これより西方十万億土の仏土を過ぎて世界あり、名付けて極楽という】と説かれたり、
【ここを去ること遠からず(去此不遠=身近な所に浄土があり、如来様はいらっしゃる】とある、
などと異なった説示のようにも見えます。
しかし、弁栄聖者は次のように説かれています。
(西方十万億土を過ぎて極楽ありというのは、)自然科学的な実証主義と衝突する。浄土をどうして自然界に発見することができようか。仏教は精神的宗教であるから、精神を開発すれば、極楽はもとより身近な所にある、西方とは終局を表現した言葉であり、方位や場所を指す言葉ではない。西方と定めているのは、帰り着くところを日没に示し、思いを一方に傾け、意志を専一にするためであり、欣慕の感情を起こすのに適しているからである。
善美の霊界は、必ずしも十万億土を隔てているわけではない。ミオヤと私を隔てているものは自己の無智である。
宇宙同一の如来中にて、娑婆と浄土との実体に変わりはない(同所)。善導大師も法然上人もそれを確かに認めておられたのである。衆生が分からぬゆえに、方便として宇宙が全く二つあるように教えられたのである。
以上を要約しますと、西方というのは方角を示すのではなく、帰るべきところという表現のことであり、西方の一点を示すのは、信仰を専一にするためです。日没の美しい姿をみて、阿弥陀様の世界を恋い慕う思いを起こさしめんがためということです。また十万億土の隔たりというのは、距離の隔たりを指すのではなく、われわれ凡夫の無知無明の深さの表現であり、聖者は、信仰の眼が開けた後は、十万億土の隔たりなど簡単に行き通うことができると、「南無阿弥陀仏一声ごとに十万億、なに遠からむ行き通ふなり」と詠まれています。
言葉の表現としては、西方、真正面、去此不遠、十万億土といろいろな表現でお浄土の所在を示されていますが、如来様の所在の真実は、いまさざることなき(どこにでもいて下さる)ですから、いずれも真実なのです。ただ、信仰の実践においていうと、的(信仰の対象)を絞っていかないといけない。そのため、法然上人の時代などでは西方と示され、弁栄聖者は真正面に「今現に此処に在ますことを信じて」示され、如来様をお慕いしてお念仏していけるように導いて下さっているのです。法然上人も「念仏ノ行者ノマヘニハ 弥陀 観音 ツネニキタリ給フ」(要義問答)と詠まれています。
そして、最後に金田上人から、三種類の心の様を描かれた弁栄聖者ご真筆の絵の紹介がありました。三つの丸が描かれ、それぞれの丸の中には、中心に四角とその周囲に無数の点々で表現された雑念・妄想念に満たされた智者の心、何もない空っぽの丸だけの一文不知の愚鈍凡夫の心、そして、光り輝く阿弥陀様の姿が描かれた念仏者の心が表現されていました。元祖大師法然上人が残された御遺訓・一枚起請文の「智者のふるまいをせずして ただ一向に念仏すべし」がそのまま絵になって、心に強く響きました。
どうもありがとうございました。
第33回 大巌寺別時念仏会
植西 武子
◇日時 平成21年9月18日(金)~20日(日)
◇場所 龍澤山・大巌寺(千葉市中央区大巌寺180)
◇導師 河波定昌上首上人
◇参加者 71名
9月中旬と言えば、例年はまだ残暑が厳しい頃ですが、今年は清々しい気候に恵まれました。通用門から一直線に延びた小径をたどると、左前方の本堂から木魚の音が聞こえてきました。遅れて参加したので受付をすませて、急いで本堂に直行しました。暗闇に馴れてくると、殆どの座席が熱心な念仏者で満たされておりました。参加者が増えていると実感しました。ご本尊様にご挨拶をして、本年も参加できましたことを感謝し、これから2泊3日の修行が稔りあるものでありますようにと祈りました。
日程
開会式=10時30分 閉会式=16時
各日=起床5時 就寝9時 午前と午後に法話 その前後が念仏三昧 朝食後(清掃)と夕食後(入浴)休憩時間
参加者
受付で参加名簿に目を通して、参加人数が多いのに驚きました。部分参加も含めて総数は71名でした。その中で附属の幼稚園の先生が7名、保育園の先生が11名参加されておりました。
また、光明園の関係者、大学関係の先生方、お檀家関係の方々、ひかり誌その他の情報で独自に来られた方もありました。遠方は広島からの方もありました。年々参加者が増加していることは何よりも喜ばしいことでした。
ご法話
期間中に6回に亘ってご法話がありました。拝聴した4回のみ概略です。
- 19日午前の部
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※「念仏をする際の心構え」について、「信」を中心にお話を展開されました。
その導入として、礼拝儀の「・・・今現に此処に在すことを信じて一心に恭礼し奉る。」の文を示されました。「今現に此処に在すことを信じて」は『般舟三昧経』の中で既に説かれており、このことに如何に徹するかによると説かれました。荒巻くめ女は正しくそれに徹した念仏者の一人でした。
※「恭礼」は「四修」即ち①恭敬 ②無余 ③無間 ④長時の一つで、「恭敬修」のことであり、お念仏する心構えとして非常に大切なことである。
※「信」はサンスクリット語でSrat-dhaと表記し「Srat=真実 dha=~の前に置く」から生まれた語である。この「信」について或る一句を紹介されました。それは徳川時代の盲目の学者、塙保己一の「名月や 座頭の妻の 泣く夜かな」である。これは名月の夜に保己一は妻と一緒に月見をした。妻は美しい月夜の状況を彼に語った。彼はその妻の言葉を通して共に月見を楽しんだ。彼は正にSrat-dhaの心境で妻の言葉を信じたのである。それとは知らずに嘆く妻を詠んだ句である。※「信」はやがて「深信」となる。三心(①至誠心 ②深心 ③回向発願心)を一本に絞ると「信」になる。三心を具するものは必得往生とも言われている。『無量寿経』では至心、信楽、欲生我国である。
※法然上人は大原問答の中で「人をして欣慕せしむるの法門は暫く浅近に似たれど、自然悟道の蜜意きわめて深奥なり」と述べておられる。この一見「浅近」は「深信」に連なる。
※大乗仏教を長いスパンで概観するとき、三つの大きな出会いがあったと言える。- 第一はギリシャ文明との出会いであった(ヘレニズム)。
- 第二の出会いは、キリスト教との出会いである。7世紀の唐の都・長安は世界に門戸を開いていた。さまざまな文化が流入する中でキリスト教も受け入れられ、その一派(ネストリウス派)である景教が盛んであった。当時は善導大師が活躍されていた時期ではあるが、仏教とて少なからずキリスト教の影響を受けた。
- 第三は西洋思想との出会いである。弁栄上人の「深信」はやがてプラトン哲学と結び着いていった。プラトンの言う「エロス」は永遠の真理につながる。弁栄上人はプラトンの文『パイドロス』を引用して「エロス」を説明されもした。そして「霊恋」、「神的憧憬」等の新しい言葉を創造されるに至ったのである。このように弁栄上人は従来の浄土宗に新しい哲学的な要素を取り入れられて展開されたのである。
- 19日午後の部
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※「礼拝儀の形成」についてのお話でした。
※礼拝の紀元は紀元前1世紀の前半に遡る。この時、既に「懺悔」「随喜」「勧請」の三つが備わっていた。そして更に賛歌が生れてきた。『大乗仏教起源説』(平川彰著)には「音響忍」について記されている。音楽の中に悟りが開かれていったのである。当時馬鳴、アシューバー、ゴシャーは音楽の天才として活躍した。
※1世紀の後半になると更に「帰命」「発願」「回向」の三つが加わり、六つの内容が備わっていった。『普賢行願讃』は後に善導大姉の『中夜礼讃』に引き継がれていった。
※更には4~5世紀になるとゲルマン民族の大移動により、ラテン文化との衝突が生ず。
※礼拝儀はラテン語でcultusといい、文化cultureとの関連を窺わせる。即ち礼拝と文化は非常に深い関係にあるのである。
※「礼拝儀の形成」には四つの段階があった。- 「呪術的段階」では日本に於いて縄文的霊性が瀰漫していた。特に美意識の三要素と言われる雪、月、花にはその意識が注がれた。「月をみて 月に心が澄むときは 月こそおのが姿なるらめ」(定覚支-弁栄聖者)はその代表的な歌である。
- 「宗派的段階」ではやがて各宗派が独自の礼拝儀をもつように
- 「脱宗派的段階」ではそれぞれの宗派を超えた次元が開かれていくようになった。
その例としてニコラウス・クザーヌスがあげられる。彼によってキリスト教内での対立(東方教会との、またイスラム教との)を超えて仏教と対話するようになってきた。カトリックと東方教会が対立していた時、ニコラウス・クザーヌスはその著『普遍的和合』(1450年?)で「一なる神」を説いた。これこそ脱宗派の典型といえるのである。 - 「弁栄上人の段階」。仏教とキリスト教を一体化したのが弁栄上人の礼拝儀である。世界宗教文化の歴史の中でこの礼拝儀の持つ意義は大きいと言える。
仏教に於いても覚鑁上人はその著書の中で「毘弥一如」を説いておられる。即ち、毘盧遮那仏も阿弥陀仏も同じである。キリストとの関係においても天に在すキリストも仏教の阿弥陀仏も一体なのである。(『無量光寿』)
※宗教儀礼は文化の根底にあったのである。 日本文化の根底においては「あなたの心は無くなりて…」に帰着していく。お念仏していると自分がだんだんと無くなっていくのである。
ドイツの哲学者のオイケン・ヘリゲルはその著『弓と禅』中で弓道とアーチェリーを比較して「アーチェリーでは自分が射るのに対して、日本の弓道では自分が射るのではなくitが射る。」と述べている。剣道においても同様なことが言われている。剣道の極意は沢庵禅師が柳生但馬守に与えた『不動智神妙録』に書かれていることに尽きる。
※特に念仏においては、相続する中でだんだんと自分が無くなっていく。その過程で人間形成が自らなされていくのである。
※この弁栄聖者の素晴らしいご縁に会えたことは何にも増して幸せなことである。
- 20日午前の部
- ※「念仏の功徳」についてのお話でした。
※『歎徳章』の最初の部分を導入としてお話を進められました。「威神光明」「最尊第一」この言葉に「価値の根源」が凝縮されている。お念仏をしていく中で取り換えられぬ尊さを実現していくのである。その原点とも言える歌として「阿弥陀仏と 尊き方を念ほえば 念う心ぞ いや尊けれ」(弁栄聖者)。
※14世紀のドイツではバイブル等においてもラテン語が支配していたが、マイスター・エックハルトによってドイツ語が語られるようになった。それはあたかも仏教が法然上人によって和語で語られるようになったのと同様である。このように独自の言葉を語ることはその文化への影響が大きいのである。
※エックハルトはその著『高貴なる人間』(der edele Mensch)に於いて人間の高貴性について論じている。「人間の高貴性はどこから生まれるか。」の問いに、「神に触れることによって生まれる。」と述べている。
※これは弁栄上人の「威神光明最尊第一」と全く同じなのである。罪悪の凡夫が阿弥陀様に触れることによって尊厳性が実現してくるのである。
※『華厳経』の思想は一と全体が一つであると捉える。日本文化も全てそれに帰着する。これに関する一つのエピソードが紹介された。ある俳人が近江の国を訪ねた時、領主が彼に近江八景すべて含んで一句を詠むようにと依頼した。彼はそれを見事に十七文字にまとめ上げた。「七景を もやに包んで 三井の鐘」これこそ全体を一つに含んだ例であり、一多相即である。
※全体が一点に集中して私に働く。念仏とは宇宙の全体が私の中に働くことである。法然上人は「念仏する人とは無量の宝を得たる人」と述べておられる。また、『般舟三昧経』には念仏をしていると三力が加被されるとある。即ち、仏の威神力、三昧定力、本功徳力である。
※エネルギーには物的、心的、神的の三種があり、この神的エネルギーこそ威神力のことである。神力はいろんな場面でさまざまな形となって働くものである。例えば、ホルモンの分泌を考えても性的、知的、霊的と働く。
※日本人は大自然を通して霊性を育ててきた。縄文的霊性は将にそうであり、法然上人の「月かげの歌」はその典型的な例である。その歌の中に日本人の宗教性を見ることができるのである。 - 20日午後の部
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※「弁栄上人出現の意義」「ポスト・モダニズムと光明主義」についてのお話をされました。
※日本では文化的に恵まれた時代に宗教的天才が誕生した。- 聖徳太子の出現 ようやく日本統一がなされ、さらに高い精神性が必要とされた。大乗仏教こそがそれを担い、聖徳太子がその仏教をその支柱とした。
- 弘法大師の出現 文化の華が開いた平安時代に空海の教えは多くの人々の心を捉えた。
- 法然上人の出現 日本の古代が終わり、中世が始まるその転換点に法然上人が出現されその後八百年に亘って日本人の支柱となった。
- 弁栄聖者の出現 今や現代は近代が終わって新しい時代が展開される時である。換言すれば近代を脱却して新しい時代へと進む時である。いわゆる「ポスト・モダニズム」である。
※近代とは何か。
- 自我中心主義の時代であった。自己中心の思想が横行していた。
- 計量主義の時代であった。すべてを計量的に考えることによって近代人は魂の故郷を喪失した。ハイデッガーは「魂の故郷の喪失は水爆よりも恐ろしい。」と嘆いたと言う。
※光明主義こそが近代を脱却する思想である。光明主義は近代的人間像とは異なる人間中心主義を脱却した人間像を目指す。ロシアの思想家ニコライ・ベルジャエフは「華やかな20世紀ではあったが肝心なものが欠落していた。」と言っている。「肝心なるもの」とは「理想的人間像」即ち「菩薩像」のことである。聖者はホルモンには覚醒作用があり、高い次元の霊的ホルモンの働きを説いておられる。更に別の表現で栄養、教養、霊養とも説いておられる。「魂の糧だになくば 何かせん たとえ身体は肥えふとるとも」。
※天性、理性、霊性の三つが健全に備わって人間性が完成されていく。善導大師の発願文に「命終の時に臨んで、心身にもろもろの苦痛なく、心身快楽にして、禅定に入るがごとし」とある。
『華厳経』の「十地品」では念仏三昧の十段階が説かれているが、そこで善導大師の発願文の世界が展開されている。弘法大師も同様な願文を書いておられる。弁栄上人の願文も善導大師の願文も我々に生きるすべを教えてくれている。近代の崩壊と共に人間形成の学問もなくなって行った「霊養」こそ人間形成の原理であり、ポスト・モダニズムの核となる。
ハイデッガーもその著『Uber den Humanismus』(人間中心主義を超えて)同様なことを述べている。
※光明主義に出会えたことによって新しい局面が開かれてゆくのである。光明主義は「時機相応の教え」として現われるべくして出現したのである。そして新しい菩薩像(人間像)の展開に繋がっていくのである。
別時寸描
- 素晴らしい環境
- 山門から本堂へとつながる参道の両側は緑の木々に覆われて、念仏しながらの朝夕の散策に最適な場所です。また、緑の絨毯を広げたような広大な裏庭には例年通りに芙蓉がピンクの花をつけ、群生する赤い蔓珠沙華は季節を感じさせてくれます。縁側に座して前方の竹林を渡る風の音に耳を傾けるのは至福のひととき、思わず「南無阿弥陀仏」と合掌します。毎年参加させて頂ける幸せに感謝の限りです。
- 休憩時間
- 廊下にはソファが置かれ、その前が休憩室として卓上にはコーヒーやスイーツが準備されています。休憩時間に自ずと人が集まります。そこではいろんな出会いがあり、新しい情報を得たりします。勿論、修行中のこと故に私語は差し控えるべきですが、ご縁を結ぶ貴重な時間でもあるのです。ここでは大声で話す人はなく、個々にひっそりと話し合っています。ここには規制しなくても自ずとルールを守らせるsomthing great の力が働いていると毎年痛感しています。
- 閉会式
- 今年は閉会式まで止まり、参加することができました。河波導師上人のご挨拶と長谷川匡俊上人のご挨拶に続いて参加者を代表して檀家総代の方がお礼を述べられました。始めて何の予備知識もなく参加されたそうです。三日間、心身共に格闘したことをユーモラスに語られる感想には真実性があり、そのご健闘ぶりにみんなが大きな拍手を送りました。御檀家の方が念仏に導かれる長谷川上人様のご尽力には衷心敬意を表したいと思いました。みんなで歌った「のりの糸」はその歌詞「心はずずの緒を通し 同じさとりの身とならん」の願いを共有して、来年の再会を約束しているようでした。本堂には歌声が美しいハーモニーとなって響いていました。
別時感想
- 河波上人様はとても奥深いお話をして下さいました。時間、空間を自由自在に駆けめぐる壮大な内容にせわしくメモを取りながら、充実感を持って拝聴しました。21世紀の宗教のあり方をこんこんと説いて下さいました。この尊い教えを一人でも多くの人々に伝えねばの思いを新たにしました。
- 大巌寺様はあらゆる面でお別時の環境設定にご配慮下さっています。心温まるお手製の朝食から湯茶の接待、広々とした寺庭の清掃、お念仏し易い道場の完備、今年はインフルエンザが流行していることから空気清浄機まで設置下さいました。
また、食事の配膳や後始末、お風呂やトイレの清掃は全て18名の先生がして下さいました。休憩時間をゆったりとした気分で過ごせたのも先生方のお蔭だとつくづく思いました。勿体ないという気持ちで申し訳なく思いました。 - 副住職様によれば年々参加者が増え、殊にリピーターも多いとのこと、それは参加者が如何に充実して修行できたかを物語っています。ご家族上げての取組みと代々引き継がれている光明主義の教えを実践されている賜物と拝察しました。先代住職の長谷川良信上人様は当時から福祉の問題に着眼され、ドイツに留学して研鑽につまれ、帰国後、その方面に尽力されたと伺いました。光明主義を信奉し、且つ実践してこそ真価が問われるものと痛感致しました。現在関東十八壇林の中で真に生ける宗教として活動されているのは大巌寺様だと確信し、今後の更なるご発展を祈りました。月例報告を兼ねて参加者の一人として感謝申し上げます。