光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成22年9月

柏崎・極楽寺を訪ねて

植西 武子

◇日時 平成22年6月25日(金)~26日(土)
◇参加者 関東支部会員12名(男5名・女7名)

支部の聖者90回忌記念事業の一つとして計画されていて、できれば本堂の落慶式に合わせると計画していましたが、当日はお檀家を中心とした大きな法要とお聞きして、日を改めての訪問となりました。

当日は天気予報と裏腹に好天気に恵まれ、その上、懸念していた暑さも和らぎ、絶好の旅行日よりでした。総勢12名を乗せたマイクロ・バスは練馬インターより関越道を経て、長岡より北陸道に入り、約束の3時に極楽寺に到着しました。
籠島浩恵上人ご夫婦は準備万端整えて私たちを迎えて下さいました。私を含めて初めて訪問の数名は「やっと来られた」と感慨ひとしおでした。

まず本堂に通されて、ご本尊様にご挨拶のお念仏をしました。写真で見た中越沖地震の被害の痕跡は殆どなく、立派に修復され本堂は金色に輝き、さながらお浄土にいる感じでした。阪神・淡路大震災で自宅マンションが全壊扱いを受けた身として、これまでの大変なご苦労に心を馳せました。

その後、聖者ご遷化の間に通されました。参加者の最も関心のある場所に座して、それぞれに深い思いに耽りました。90年の時を経て、当時の空間が現前にそのまま保存されていることに何より心を打たれました。目を閉じて、在りし日のその場面に自分も参加してる気分に浸りました。お上人方のご法話にしばしば登場する籠島サキ子さんも私のすぐ隣におられるように感じました。弁栄聖者がことのほかお慕わしく感じられた瞬間でした。

別室では卓上に準備された茶菓が私たちを迎えてくれました。そして資料も全員に配布下さいました。籠島上人ご自身が我々の訪問のために極楽寺沿革等について作成されたものでした。また、柏崎博物館で行われた弁栄聖者特別展のパンフレットや震災時の各所の写真等も頂きました。お上人様ご夫婦から震災当時の状況や復興に至る過程のご苦労等、お話を伺い、意義深い時間は瞬く間に過ぎて行きました。

最後に聖者のお墓にお参りしました。すっかり修復された墓石の前にはきれいなお花が供えられていました。よく訪れる京都知恩院のお墓、生誕の地である千葉鷲野谷の医王寺のお墓、上人が建立された松戸の善光寺のお墓、住職として活躍された相模の国、当麻にある無量光寺のお墓、毎年別時行事としてお詣りする信州唐沢山のお墓、それぞれのお墓に聖者のご活躍の足跡を偲び、その偉大さに感じ入るばかりでしたが、今回初めて訪れた聖者終焉の地、柏崎極楽寺のお墓にはまた格別な思いでもって手を合わせました。
百回忌に向けて、北陸のこの地に再び往事のような光明主義のお念仏の声が背後の山々にこだましますようにと・・・

いよいよお別れの時がきました。1時間余の滞在でしたが籠島上人ご夫婦の心からの温かい歓迎に感謝し、満ち足りた気持ちで聖者にお別れを告げました。ご両人は私たちの車が見えなくなるまで手を振ってお送り下さいました。私はあの独特な形をした本堂の屋根に惹かれるものがありました。いつの日かの再訪を心に秘めて極楽寺を後にしました。
夕日がすばらしいと言うホテルで1泊して、翌日は良寛生誕の地を訪ねました。

夕闇が迫る頃、日本海が一面に広がるホテルの窓に目をやると、そのすばらしい光景に息を呑む思いでした。夕日といえば一般に茜色を連想しますが、この日に見た夕日は水平線の彼方の雲を赤紫に染めていました。即座に「紫雲たなびく」と言うことばが脳裏をよぎりました。まさに、極楽浄土からの贈り物と受け止め、「南無阿弥陀仏」とみんなで合掌しました。充実した一日のすばらしいフィナーレでした。

翌日は良寛生誕の地を訪問しました。海の彼方に佐渡島を眺める景勝の地に良寛堂は立っていました。子どもと戯れる良寛像にその人柄を偲び、良寛記念館の展示物に良寛の優れた才能を再認識しました。名主の家に生まれながら全てを捨てて、清貧の中で自然を愛し、子どもを慈しみ、歌に没頭したその生き方に現代の世相を重ね、共感する人が多いことも納得できました。
その時、ふと、小学校の学芸会で演じた「良寛さま」の歌の一節が思わず蘇りました。

茅の庵も傾いて
雨もる朝や、雪の夜は
さだめし和尚さんは 寒いでしょ
なぜに お里に住まないの
おやおや うれしいこと言うて
わしはお山が好きなのじゃ
一人で居ても はればれと
少しも苦労にゃ思やせぬ
・・・・良寛さまは夢を見る

小学校3年生、あれから何十年もの歳月が流れているのに不思議にも覚えていたのは、幼いながらその生き方に感じるところがあったのだろうと思われます。

今回の旅はお念仏の仲間が同じ思いで一つの目的を持っての参加でしたので、それぞれに得るところ大なるものがあったと思います。

極楽寺との連絡や旅程の決定、きれいな旅のしおり作成、車中のおやつに至るまで準備下さった田代支部長ご夫婦のご尽力に参加者一同、心より感謝しました。関東支部の会員の親睦を深め、今後の活動へのエネルギーを補給したすばらしい旅でした。

一行三昧の会

高橋 敏子

◇日時 平成22年7月4日(日)10時~16時
◇会場 光明園
◇参加者14名

午前中は、お念仏、如来光明礼拝儀をお唱えし、午後はお話とお念仏でした。
今回は、昨年2月国際仏教塾を経て出家し、今春3月百万遍知恩寺で第一回修行を終えた鍵和田充生さんが貴重な体験にもとづくお話をされました。

内容は、浄土宗教師を目指す者にとって、必ず覚え、身につけなければならないものに「勤行式」があります。勤行式の中の一部、香偈から四弘誓願までの偈文を、達書にしたためて、訓読し判り易く解説されました。偈文に詠われている、経文の深い意味を時折、自らの人生の経験を交えながらのお話でした。日常称えている経文も一言一句、意味を感じながら詠むことによって、そこに込められる深いメッセージが伝わってくるような内容のお話でした。

念仏と法話の会

植西 武子

◇日時 7月11日(日)
◇会場 光明園
◇参加者 35名

この日は参議院選挙の投票日であったため、貴重な一票を投じてから光明園に向かいました。午後からの参加となりました。
午前中に佐々木有一氏のお話がありました。「如来様の七不思議」と言うテーマで4月より連続してのお話で、今回が最終回で、第6の不思議として「本有無作の報身について」、第7の不思議として「相続は心を変える」についてお話をされたそうです。拝聴の機会を失したことをとても残念に思いました。

午後はお念仏と河波上人のご法話、その後にお盆の回向がありました。
関東では7月がお盆で、今年は奥様の新盆でもあるのです。参加者全員、それぞれ心を込めてお念仏をしました。

ご法話

お盆の月であるのでご法話は主に「回向」についてのお話でした。
田中木叉上人は、「『死んだらしまい』と言う人があるが、これほどつまらない考えはない」と常々話しておられた。
亡くなった方への回向は非常に大切である。

法然上人も『和語燈録』の中で回向について述べておられ、亡くなった人への回向についても言及されている。しかし、死んだ人への回向は勿論、大切であるが生きている人が生きている人へする回向、これも非常に大切である。

大正12年より、笹本戒浄上人の指導を受けてこられた跡見花蹊先生が臨終に及んで導師を依頼された話はよく語られている。臨終来迎は大切なのである。

また、式子内親王が法然上人に臨終導師を依頼された話もよく語られている。その時の法然上人の返事が「正如房への手紙」として残されている。その内容は「今、行くことはできない。臨終に必ずしも導師は必要としない。兎に角、自分でしっかりとお念仏をしなさい。と認(したた)められていた。阿弥陀様と私だけの関係が大切なのである。

ドイツ語にも「神様と私だけ」を意味する「Ich und Du」なる表現がある。
キリスト教に「memento mori」なる言葉がある。memento=remember,mori=deathすなわち「死を忘れるな」を意味する。
念仏することによって生死を脱却し、死ぬ前にお浄土が実現してくるのである。臨終に及んで、臨終来迎は必ずあるので、それを信じて正念に往するのである。

法然上人の正如房への手紙、これこそ生きている者から生きている者への回向そのものなのである。
また、法然上人が九条関白藤原兼実公への手紙の中に詠まれている、

露の身は ここかしこにて 消えぬとも
心は同じ 花のうてなぞ

の思いで互いに念仏することが大切である。

亡くなった人も、生きている人も共にお念仏する、いわば「生死を包む共同体」として相続されることが求められるのである。古来、インドに経済的な意味での自由な共同体が存在し、サンガと呼んでいた。釈尊はこれを模していわゆる宗教的な意味でのサンガとしたのである。あちこちにサンガが出来、さらにそれが拡大し、そのサンガが我々の生活の中に浸透して念仏が相続されることを願うものである。

茶話会

光明園の例会は8月は唐沢山別時、9月は千葉の大厳寺別時に合流する形となりますので、10月の例会まで皆さんとはお会いできないのが淋しいです。皆さんもそう感じられたのかいつもよりゆっくりと歓談して散会致しました。

久しぶりに奥様が可愛がっておられた猫が二階に姿を現しました。部屋の隅にうずくまってずっとお念仏を聞いていました。お盆で奥様がお帰りになっているんだと思いました。

平成22年度(第10回)親子別時報告

植西 武子

◇日時 平成22年7月21日(水)~22日(木)
◇会場 光明学園高等学校(修養室)
◇導師 山上光俊上人(島根県・西向寺住職)
◇維那 金田昭教上人
◇参加者
・一般 大人20名 子ども2名
・学園関係 生徒9名 教諭8名 PTA関係者15名
・献灯式 園児139名 保護者98名 園長 幼稚園教諭9名

今年は会場の都合で7月21日、22日と例年よりかなり早い日程での実施となりました。そのため、不安が的中して、子どもの参加が無に等しい状況となりました。まだ夏休みに入っていない子、それぞれの幼稚園や学校での宿泊訓練と重なる子、結果的にわずか2名ということになりました。従ってその親も不参加、更にウィーク・デイでもあったため、大人の参加も減り、参加定員の半数という事態になりました。子どもの居ない親子別時は意義がないので中止も献灯しましたが、一度止めると再会が大変であるという事で実施に踏み切りました。しかし、一方で朗報が入ってきました。過去最高を記録する光明幼稚園からの献灯式参加申込みがある、更にご法話にPTAの会長さんとお母さん方が十数名参加されると言うお知らせでした。このニュースに安堵し、今年は光明学園とのご縁を深める好機としなさいと言う弁栄聖者からのメッセージと受け止めました。

この日は温度計の水銀柱は体温近くまで上昇し、まさに「酷暑」の極みでした。しかし、光明学園の修養室は汗だくの参加者を心地よく涼しく迎えてくれました。

伊藤旭栄先生の指揮の下、光明学園の生徒さんが会場を設営してくれました。仏前に生花をお供えすると、開会式を待つばかりとなりました。早々に、はるばる静岡から5名の方がお姿を見せてくれました。「遠方より、友来たる」の思いでお迎えしました。

開会式で導師の山上上人は、「ここに来ると弁栄上人の聖地であることが実感される」と話されました。また、「学舎でお念仏ができるのは、おそらくここだけだろう。弁栄上人が見守ってpられる中で、如来様のみ光の中で充実した時間を過ごしましょう」とご挨拶下さいましたら。

参加者

宿泊して全日程参加者は例年より半減しましたが、光明学園の若いお母さん方が参加して下さったことで、活気ある会となりました。先生方も夏休み行事のある中を都合をつけて参加し、いろいろお手伝い下さいました。

共催の中部支部から祢次金文子さんが法友4名を誘って参加下さいました。今年は名古屋の内藤さん、小川さん一家が日程の都合で不参加となり、淋しく感じていましたので、一層ありがたく思いました。久しぶりの再会を喜び合いました。

卒業生の天野さんと矢後くんは社会人となっても毎年参加し、今年も元気な顔を見せてくれました。とても嬉しいことでした。

子どもの参加が少なかったことは何より残念でした。去年が楽しかったので今年も期待して参加してくれた華ちゃんは、すっかり様子が違うので所在無さそうでした。翌日に参加した裕大君(5年生)が救世主、ひたすら後をついてまわっていました。

献灯式

今年のハイライトは何と言っても献灯式でした。大勢の子どもたちが参加する貴重な場面だからです。昨年も人数が多くて二部制で実施しましたが、今年はそれを上回る人数です。どのような展開になるかと少し不安でした。

第一部は年中組から始まりました。園児81名、保護者60名が入場すると広い研修室も所狭しと言った状況になりました。初めはざわざわしていましたが、山上上人のリードよろしく、子供達は次第に落ち着き木魚を叩いてお念仏をしました。

献灯は時間的な事もあって3人ずつの同時進行となりました。火を消さないようにと緊張しながら無事献灯できました。81本のローソクの灯はゆらゆらとあたりを照らし、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

第二部は年長と年少の混合編成になっていて年少組が退屈するかと心配していましたが、園児58名、保護者38名と人数的に少ないこともあってか、入場時から落ち着いた雰囲気で進行しました。「あっ、去年のお坊さんだ」と覚えている子もいました。さすが年長組、お話を真剣に聞いて、山上上人の問いかけにも機敏に反応していました。年少組はその様子に圧倒されてか、おとなしく状況を見守っていると言う感じでした。お念仏も木魚の音がぴたりと合ってリズム感の良さに感心しました。献灯も無事に終わり、山上上人からお褒めの言葉を頂くと一層元気が出たようでした。

最後に上人は「みんな、あまりお利口なのでご褒美をあげます」と言って「猫のおひげ」なるあそびをジェスチャーつきで披露されました。「猫のおひげはピーン」と言いながら右手、次に左手を伸ばすそのユーモラスな動作に子ども達はすっかりはまってしまいました。大変盛り上がった雰囲気の中で献灯式は終わりました。

139本のローソクの光の中で最後に子どもたちは合掌してお十念をしました。どうかこの子ども達の心に蓮花の種が宿りますようにと一心に祈りました。

ご法話

大人を対象とした法話が21日の午後と22日の午前に一席ずつありました。また今年は子どもが少ないため、「子ども法話」の代わりに高校生を対象とした「青年法話」が一席ありました。(概略のみ)

※21日の法話

この日は光明学園高校のPTAの会長さんと数名のお母さん方が参加下さいました。
ご法話は「弁栄聖者御垂示」を中心としてお話を展開されました。弁栄聖者はわずか4年で深い悟りの世界を経験された宗教的な天才である。生死を超えた世界があることを実証し、光明主義を提唱された。

法然上人も生と死の世界を釈迦と同じ方法で説かれた。この「御垂示」は法然上人の「一枚起請文」に通じるものがある。
弁栄聖者は「南無阿弥陀仏」と称える度に仏思いの気持ちが深まっていく、その気持ちを大切にすることが大事と述べておられる。聖者は籠島サキ子さんに「仏思いの心を種としてお念仏にはげみなさい」と、跡見花蹊先生には「阿弥陀様は無限の光を注いで下さっている」と説いておられる。仏思いの念仏を相続していくと親子関係のような気持ちになって阿弥陀様に対して親しみが湧いてくる。至心に称えていれば科なら素お迎えに来てくださる。

阿弥陀様のお姿を臆念し、口に南無阿弥陀仏を称える中で阿弥陀様のお心を頂くことができる。お心を頂いたら、体を使って実践すること、これが何より肝要である。念仏は称えなければ本当のありがたさがわからない。念仏すれば知・情・意が浄化され、一声一声に自分が仏になっていく。新しい自分が生まれてくることに喜びを感じるようになるのである。

※22日の法話

この日の法話にはPTAの役員をしておられるお母さん方が十数名参加されました。ご法話のテーマは「やさしさ」を中心にお話し下さいました。
最初にアンジェラ・アキの歌「自分を信じて生きよう」、次に外国の作詞者不詳の「親愛なる子供たちへ」と言う歌を聴きました。

今の時代にやさしさを伝えるにはこのような子供の頃の体験を思い出し、受けたやさしさを思い起こし、感じるそんな方法がよいのではないか。

思いやりの愛(慈悲)、真実を見る知性これが仏教の教えの根本である。これからの人類にはこのコンセプトが不可欠である。仏教の慈悲の教え(弁栄聖者は同体大悲と表現された)は自分と対立している相手が一つになっていくことである。二つが一つになっていく世界が実現すれば心は平和になり、安らぐ。仏教では怨親平等の愛を説く。

貪・瞋・痴で苦しんでいる我々凡夫には非常に難しいことであるが煩悩を消滅させる以外に道はない。それには念仏しかない。大宇宙に遍満する阿弥陀様の光によってやさしい心とさせて頂くのである。そして自分の中から湧いてくる真実の幸せを感じるようになる。阿弥陀様の量り知れない智慧と慈悲によって我々は変えていくのである。念仏によって感覚が研ぎ澄まされ、心の目でみる世界が展開する。仏教は本当に生きることを教えている。如何に生くべきかを説いているのである。

※青年法話

テーマは「いのち」を中心に「やさしさ」についてのお話でした。最近、宮崎県で発生した「口蹄疫」問題に関して山上上人自ら著作の「モーとピーの涙」と言うお話を読まれました。これがお話の中心でした。

最初に「生きている人にも、死んでいく人にも、死んでいる人にもやさしくすることが大切である」と話されました。さらに人間だけではなく、植物も動物もすべて「たった一つの命」なのである。この命に関して、今回二十九万八千頭の牛や豚が殺傷されたことは大変悲しいことであり、宗教家として残念に思うと話されました。

物語の内容はのどかな牧場の片隅で牛のモーと豚のピーが平和な語らいをしていましたが、ある日、突然に白装束の人たちが現れ、牧場は騒然となりました。状況も理解出来ぬままに、誰も居なくなった厳しい現実が残ると言う設定になっています。

最後にお上人は生徒たちに感想を求められましたが、いろんな問題を含んでいて答えるのが難しかったようでした。

終わりに

今年も皆様方のお力をお借りして無事に終えることができました。山上上人にはとても厳しい日程で、忙しくさぞお疲れだったと思います。金田昭教上人は大きな張りのある声でみんなを導き、維那を勤めて下さいました。伊藤旭栄先生は全面的にお活躍下さり、感謝の気持ちで一杯です。また学校関係の先生方はそれぞれに仕事を分担してお助け下さいました。献灯式に多数の園児を参加させて下さった園長先生、先生方のご労苦に心よりお礼申し上げます。

今回ご参加下さった皆様のお力添えで大変助かりました。是非来年もお会いできることと楽しみにしています。ありがとうございました。

今年で親子別時を再開して10年目を迎えました。八木季生現増上寺台下に導師をお願いに上がったのがつい先日のように感じられます。歳月の流れの速さに焦りを感じ、一つの節目として、本別時のあり方を肯定的な視点から再検討する時期にきていると思います。中部支部の皆さんと関東支部の役員とで検討していきたいと思っております。

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