光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成19年6月

名古屋・西蓮寺会場

内藤規利子

4月22日、例会。2ヶ月ぶりの西蓮寺には君子蘭がたくさん咲き、春になっていました。

4月ということでお寺では花まつり、お釈迦様像や甘茶を準備して下さいました。かわいいお釈迦様に甘茶をおかけする子供達は大喜び、それにも増して喜んだのは私だったかもしれません。

若奥様のオルガンで「降誕讃歌」「灯」「いかなる日にも」をうたいました。

かがやくちえとやさしさと
しずかなゆうきのみちびきに
いかなるひにもいかなるよにも
われらのささえとなりたもう

あぁゴータマブッダしたわしき

ただしいことばあきらかに
てんちのことわりさししめし
いかなるひにもいかなるよにも
われらのちからとなりたもう

けわしさまさるひとのよに
つきせぬひかりをかかげつつ
いかなるひにもいかなるよにも
われらのいのちとなりたもう

大田敬光上人は、次のようなご法話をなさいました。

今うたった三曲の歌は素晴らしい歌です。仏教徒の全ての人たちがうたえるようになっていたら、日本の国もこんないろんな問題がおきるようにならなかったと思います。

お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと伝えられています。七歩歩いたということは、お釈迦様が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の迷いの道を超えた悟りの世界へ人間も行かなければいけませんということを示されたものです。

私は昨秋、友人から君子蘭をいただきました。春になって「蕾が出て来たでしょ?」と。
「全然出て来ない」と言うと、「そのうち必ず出てくるから待っていて」。

しかし待てど暮らせど出て来ない。研究(?)の結果は、大事にし過ぎて玄関の下駄箱の上に置いたので直射日光が当たらなかったせいらしい。心霊界の太陽であらせられる如来様の御光に当たらなければ、私たちの心霊は育たないと聞いています。君子蘭の友人は最近お念仏を始められましたが、この話をしてみようと思っています。

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