光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成19年12月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

猛暑がいつの間にか遠退き、肌寒ささえ感じるようになった西蓮寺にはコスモスが優しく揺れていました。10月21日、大田敬光上人ご指導で例会。法話の一部です。

(弁栄聖者のお慈悲のたよりを分かりやすく読んで下さいました。)

紅葉を見るにつけてもすぐに思われるのは法然上人の「あみだぶに染むる心の色に出でば 秋の梢のたぐひまれなし」のお歌。法然上人は43歳の時より称名念仏し、心は常にあみだ仏を念じてやまず、あみだ仏の大光明はたとえば太陽が自然界照らすがごとくに心世界にあまねく照り渡っています。常にあみだ仏を念ずるが故にあみだ様の大きな霊的な光にふれ、この霊なる光にふれる時は必ずあみだ仏と一つになる。

人々の心は汚れそのものだけれども、如来様の清らかな光に清められる時は、夏の青く繁っている青葉が秋には紅に美しくなるように六根清浄となる。また八面玲瓏として六根より光輝を放つようになる。人々の心は種々の緑にふれ、事に対して恐怖交わる交わる起こるものだけれども、あみだ様の喜びの光に清められる時は、春風駘蕩として心広く体豊かに常に喜びと妙楽が感じられるようになる。信仰の真理は精神的にあみだ様に霊化されるところにあり、法然上人のご道詠を思うにつけても我らも同じくアミダ仏の大いなる心の御光に触れてますます美しきに進もうと思う。

りんごやかきは塾するにつれて大きくなり、美しい色になり甘みが十分に現れてくる。人の心霊においてもあみだ様の霊的気候に触れて、成熟するに従って何ともいえぬ内容のうまみを覚えられるようになります。その頃になると心霊の核も菩薩聖衆の中に入ることになります。有余(生きている間の煩悩の多い人間の心)の形は昨日と変わらなくても心はお浄土に住み遊ぶ思いになります。願わくば渡辺のご一家にこの霊的な幸福がありますように祈ります。

私達は『お慈悲のたより』をいくら欲しくてもいただく述はありませんが、こうして本に残されていて弁栄聖者のみ教えに触れることができることをとても有難いと思っております。

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