光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成20年7月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺にはいろんな紫陽花(アジサイ)が咲きアルペンブルーが満開でした。

5月25日、大田敬光上人様ご指導で例会。御法話の一部です。

『法句経』とは・・・。お釈迦様は時々道を歩きながらお考えになったお言葉をお供のお弟子方にちらちらと御披露なさることがあった。お弟子方は「これはいいことを聞いた」と記憶に留めていたが、亡くなられた後「私はああいうことをあの時聞きましたよ」「それは良いことを聞いたね。それはなんとか残しておかなければ・・・」と他の方にお伝えなさる。そのようにして残った御言葉で、お釈迦様のお心がよく分かる短い詩のようなものを423集めて出来上がったのが「法句経」。短いけれど非常に味わいのある内容です。その中で有名なのが、雙要5と雙要6。

  1. まことに他人を怨む心を以てしては、どうしても、その怨みを解くことはできない。ただ怨みなき心によってのみ。怨みを解くことが出来る。このことは永恒に易ることのない真理である。
  2. 私達は長くこの世に生きていられない。人間ははかない命をいただきながら生かしてもらっている。物の命をいただきながら生かしてもらっている。そういう道理を(多くの人は)知らない。この道理を知る人々こそ争いは止むであろう。

これがお釈迦様のお言葉です。5と6と合わせて考えてみると「うらみ、つらみというようなことは、いつまでもこだわっているとなかなか本当の人間の生き方にはなっていかないよ」ということを親切ていねいに教えて下さっている。これがお経というものです。漢文では難しくて、とうていお経が伝わらないので弁栄聖者が『礼拝儀」を作って下さった。ここに仏教の尊いものがあるから『礼拝儀』は現在より永遠にまでの大ミオヤに対するお礼であって、また親様の光明をこうむりて永遠の命の光となる祈りである。礼拝式の心が光明主義の元祖である。「心に如来光明の述べ伝えに力を入れてほしいと弁栄聖者の『お慈悲のたより』の中にあります。自分の心は礼拝儀の中に込められているから、お釈迦様の御心を本当に知ろうかと思ったらこれを手がかりに皆んなに一緒に読むようにしてちゃんと受け取ってほしい』と望まれています。

私は小3の孫娘の怒っている姿を見たことがありません。ある日いろいろおしゃべりしていて「よく辛抱ができるねえ。きっと花さき山(「花さき山」という絵本で自分のことよりも人のことを思ってしんぼうすると、そのけなげさで花が咲く。やさしいことをすると、そのやさしさ花がさくという話)で、いっぱい花が咲いていると思うよ」と言うと「辛抱する木に花が咲く?」と言うので笑ってしまいました。そして「あまり辛抱はしていないよ」と言います。「我慢している時、どう思っているの?」と聞くと「くやしいなぁ!って思う時もあるけど、まぁいいかって思う」と。たまに妹とケンカもしているようですが、よく妹の面倒を見ています。お念仏の花も大きく咲かせてくれるよう祈っています。

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