光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成21年3月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺には赤、白、ピンク、絞りなどの椿が咲き始め、これからの美しさが期待されました。1月 25日、大田敬光上人様ご指導で例会が開かれました。ご法話の一部です。

1月25日は法然上人の祥月命日です。平成23年には800回忌を迎えることとなります。800回忌に出合えるということは、ちょっとないことです。次は100年先のことですから……。

法然上人は比叡山で修行中にどういう方向でいったら自分は救われるか?という暗い気持ちの時に[中国の善導大師の教えことが自分のような先の見通しがつかないような心に一点の光をともしていただける。善導大師のお称えになった「南無阿弥陀仏」を称えれば必ず明るい灯がともるんだよ]という教えに従ってその道に行かれた。その結果、43歳の時、心に明かりがともり、南無阿弥陀仏で悟りが開けた自分にさせていただけた。

私達もお念仏を称えているうちに、苦労もこんなことは大したことはないと思えたり、生きがいが生まれてきたり、しっかりした自分にさせていただけるようになってくる。

(法然上人の一枚起請文を皆でお読みしました。法然上人のお念仏の説明を分かりやすくして下さったのが弁栄聖者ということで大田上人は、再びお慈悲のたよりをお読み下さいました)

お慈悲のたより百二十九

念仏の念という字は(人二心)二人が一つになった心の姿です。故に念仏の心は、形は一人でいても心のどこかでいつでも如来の心と一つになっているのです。
この頃の寒さについて火鉢の中の炭火に寄せて所感を話してみます。
火鉢の中の炭火は真紅な色で人の手を温めてくれ、お湯も沸かしてくれ、お餅も焼いてくれる。炭箱の中の炭はちょっとでも手を触れると真っ黒に汚すので人々が触れるのを嫌がる。その炭が火鉢の中で火と一緒になると誰にも愛される。炭と火が一つになって離れぬ仲となるからである。炭は火をわがものとし、火は炭をわがものとしている。是が念の字の姿です。

私どもの真っ黒い炭のような煩悩の心でも如来の愛の光の火が加わると(炭に火がついたように大慈悲の火に温められて)日々愉快にありがたく日暮しが出来ます。アナタの心に如来の炭火が加わる時は、いつでも快く胸のうちがありがたくアタタカになります。

いつでも仏様と一つになっている心が念仏と申すのであります。アナタ方や私どもは尊く清いありがたい如来様の慈悲心と二人が一つになっているのであります。それでも口に念仏の空気が通わないと念の火力が弱まります。念仏の気をよく通して下さい。

(私事)

私の父母の勧めでお念仏を申されていた方が85歳で急にお浄土へ帰られました。私の息子は幼い頃とても可愛がってもらい、家に連れて帰ろうとするとダッコちゃんのようにおばちゃんにしがみついて帰りたがらなかったくらいです。亡くなる少し前にその方の夢を見た息子は「おばちゃん、笑っていたよ」と。昔その方がとても辛い目にあった時「お念仏できるいい機会だよ」と言われていたことを思い出します。流れに逆らわず静かに遠慮深く生き「苦労はあったけれど子供達にこぼすこともなかった」とご長男のご挨拶で知りました。お隣の方が「仏様のことを一生懸命されていたからいいふうに逝けたのかなぁ、本当にいい人だった……」とポツリ言いました。とても穏やかで眠っているようなお顔は普段よりも可愛く感じられました。仏様にお会いされたのでしょうね。

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