光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成21年5月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺には八重桜、ソメイヨシノが咲き、枝垂れ桜がかわいく咲き始め、いろいろな桃が満開。椿も咲き、名も知らぬ花々がいっぱい咲いていました。
3月29日、大田敬光上人様ご指導で例会が開かれました。ご法話の一部です。

お経本はとても大切なものですから《頂戴する》というような気持ちにならなくてはいけない。幼いからといってお経本をいい加減に扱うようなことを習慣づかてはいけない。

浄土宗日常勤行聖典と礼拝儀を皆でおあげしました。「如来光明歎徳章」の内容は仏説無量寿経のお経の一部分を弁栄聖者が入れて下さったものです。

お念仏を称えることの訳は《自分を守っていて下さる仏様は、自分を支えて下さっているんだなぁ》という心に一人ひとりがなって、この気持ちで仏様にみんなお任せしてお念仏すること。《足が痛いけれど、あと何分するんだろう》とか《もう何年もやっているけれど、お念仏していても何も分からないなぁ》とか、《お念仏していても仲良くできない人がる。あの人が憎いという気持ちはちっとも直らない》などとそんなことにとらわれてはいけない。よそ事を考えずに《仏様が自分を守っていて下さる。有難い》という自分の気持ちがいっぱいになってくれば、相手と自分の関係などどうでもよくなってくる。

他人と自分が別々の人間になっているからいけない、そんなことにはあまりとらわれずに《仏様が今守っていて下さる有難いナムアミダブツ》と、そのことになりきって5分、10分、1時間とお念仏していく。そんな自分になったらいつの間にか『カッとした気持ちになった。あんなことにとらわれてバカなことをした』と思えるようになる。とらわれない自分になってみると《とらわれて自分がいけなかったかな》という気持ちになる。すると前以上に自分の心が広く深くなって、そういう自分にさせていただける。一声称えるお念仏でも《前はうっかりしていたけれどこういうことが分かるようになって有難い!ナムアミダツ》ということになってくる。そうなると、短くても長く称えたお念仏を値打ちに変わりはない。長く称える念仏もいいですよ。

(私事)

セピア色になった新聞の切り抜きの文章に「子供がお手伝いをする時《させていただく》という気持ちを持っていてくれるのが嬉しい・・・(後略)」ということが書いてありました。私宅に一泊で来ていた小3の孫娘に「これ読んでみ」と渡すと、「漢字が分らない」と言いながらも何とか読んで「お手伝いするのは当たり前のことと思っていたけれど《させていただく》ということは初めて知った」と感動した様子。しばらくして「・・・させていただく」と言いながら早速実行に移していました。いつも孫娘を見ていえ、何をしていても頼まれるとサッと動くので感心していました。孫娘は《させていただく》という言葉を覚えて一段と成長していくのではないかと思いました。私など前々から《させていただく》の言葉は知ってのに・・・。つい忘れている孫にも劣るおばばです。

今テレビで聞きました「人を育てることの大事なことは、育てる側も育つということ。子供を育てると親も育つ。部下を育てる過程で自分も育つ。お互いに相手が伸びることを助け合うことで、一人で伸びるよりもさらに大きく伸びることができる。お互いに相手を育てるのを心掛けるだけで、回り回って自分も一人で頑張るよりは大きく成長することができる」と。頑張ろう!

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