光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成21年6月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺にはいろんな花が咲き、小花の枝垂桜が満開で青空に映えてきれいでした。本堂にはかわいいお釈迦様の像が甘茶をお掛けするように準備されており、思わず「あら、かわいい」と私は言っていました。後で皆で甘茶をお掛けして拝みました。

4月12日、大田敬光上人様ご指導で例会が開かれました。ご法話は、子ども向けに紙芝居の四倍もある掛絵のお釈迦様の物語をお読み下さいました。そして、弁栄聖者の「お慈悲のたより83」を訳しながらお読み下さいました。

来る春も来る春も同じことが繰り返されているようだけれども年毎に変わっている。去年の学生は去ってまた新しい学生がやって来る。

さて無限の大宇宙に対して、ほんの子供のもてあそびの「小でまり」に過ぎない地球とは言いながら、この表面に現れる大活劇は実に千変万化きわまりない劇を演じている。これは大ミオヤの御はからいによる一つの映画というものではないだろうか。

そもそも地球は太陽より生み出されて産声をあげた。そして目も見えず何の働きもできね子供の時代より、数千万年にわたって地表に種々の変化を生じて海と陸との区別を生じた。それがそもそもこの世界舞台の序幕であった。初めて水の中に海出されたアミバ底の生物(アメーバ)から幾千万年の年月と幾百千の階級とを経て、ついに人間という神に似た神に化装した男女の俳優がこの舞台に現れた。

初めこれというほどの技術もできず、猿のような人間、人間みたいな猿。猿楽師が室町時代の舞台に出たような状態。しかし猿役者でもかならずしも見下げることはできない。数千代に渡って彼等が不断に勇猛に努力し進化した結果人間らしくなってきた。いつまでも野蛮的に喧嘩ばかりしてはいけない。ついに文明の空気を吸う人間に進化した。

ここにおいて初めて大ミオヤの理想は、そろそろ実現するまでに進んできた。そこで大ミオヤは釈迦という分身をこの世に出して、すべての子等に対して大ミオヤの御心を知らせて人生の帰るべき真理を教えて下さった。

まことによく考えてみると釈迦は地上に現れた弥陀尊である。この小さな地球に出た釈迦が、全宇宙無限大の中心の本尊の阿弥陀如来である。天にありては弥陀、地に出ては釈迦、大小異なりといえども同一の大ミオヤに在します。もし大ミオヤの慈悲を離れて我等は仏の心に活きることは不可能である。仰ぐべきは大ミオヤの御恵み、常に念じて霊的人格が円満に成就するよう心掛けるべきである。

(私事)

晴天に恵まれた一日、孫娘たちと「チューリップまつり」に行きました。小4になった孫娘は百二十万本も植えられている広場に入ると「ウワーッすごい!」と目が真ん丸。極楽浄土の美しさは想像できませんが、それをかいま見るようなベコニア館に入った時は「キャー!」と、口を押さえていました。

一方疲れていたのか小2の孫娘は幾つかの失敗をしたらしい。その中の一つ、お手洗いにウサギのハンドバッグを忘れてしまいました。主人と私が取りに戻りました。それを見ていた孫娘は「今日はみんなに迷惑ばかりかけちゃったね」と言っていたとあとで、娘から聞きました。大人でもなかなか反省ができず言葉には出せないのに「えらいなぁ・・・」、私は感心して疲れがいっぺんに吹っ飛んでしまいました。

  • おしらせ

  • 更新履歴

  •