名古屋・西蓮寺会場
内藤 規利子
西蓮寺は真赤なアメリカデイゴが空に向かって元気に咲いて、私も元気がもらえそう。爽竹桃が「えっ、こんな色もあるの?」目の錯覚かなとも思いましたがきれいでした。
6月14日、太田敬光上人様ご指導で例会が開かれました。ご法話の一部です。
弁栄聖者はお経を熟知された上でそれを分かりやすく礼拝儀をお作り下さいました。浄土宗のお経と礼拝儀の両方をお上げするととてもよいと思います。(皆で浄土宗のお経と礼拝儀をお上げしました。)
開経偈
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実儀
無上甚深微妙(これ以上のものはないという深い勝れた内容)の法は百千万劫(想像もできない説明もしにくいくらいの長い期間)に遭い遇うこと難し。我今見聞(この尊いお経に今私達が出合うことになっている)し受持(心に受け止める)することを得たり、願わくば如来の真実義(本当の深い意味あいの訳)を解らしめ給え(理解致しましょう)
せっかく尊いお経に出合えたのだから「えらい」とか「眠たい」とか言っていないで真剣に心して話を聞かせていただいて又修業もさせていただきましょう。お経や礼拝儀を読んでいるうちにそらでおぼえてしまってただ上の空で唱えているだけになってしまいがち。そんなことのないようにしっかりお唱えして下さい。
(若奥様のオルガンで「仏はいつも柔らかに」を歌いました。)
(私事)
昨年のことになりますが、小3の孫娘と秘仏を拝みに博物館へ行きました。孫娘は清水寺の千手観音様が特に気に入り、何度も拝みました。その観音様は手にドクロを持っていました。私なりに解釈したけれどもお上人様に意味を尋ねていると、孫娘が「生きている者はいつかは死ぬ。死も喜んで受けましょう、ということじゃないの?」なんて難しいことをすまして言う。去年のカレンダーに書いてあったそうです。
ぎりぎりまで拝観して帰りのバスにあわてて走ったら派手に転んで歯から着地。歯の先が少し欠けましたが、顔のどこにも怪我はなく、痛くもない。「何たるこっちゃ!観音様を拝みに行った日になんでこんな酷い目に」と半日ほど考えていましたが『ある大きな事』が転んだことによって解決して『あぁこれだったのか』と納得。大難は小難、小難は無難に仏様は守ってくださるという。観音様に守っていただいたんだ!!と思いました。