光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成21年11月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺には若い薄の穂が出ていてあちこちに赤白の彼岸花が咲き、純白の芙蓉がとてもきれいでした。本堂には「再会の李を知らせに彼岸花」とのお彼岸のお知らせが…。

9月20日、大田敬光上人様ご指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
(弁栄聖者のお慈悲のたより57を「前にもお読みしましたが新しい方もいらっしゃいますし、秋を迎えるのにふさわしいお言葉と思いましたので…」とお読み下さいました。)

食物は食べて初めて体の栄養にになる。お念仏は称えることで心の中に大きな種を撒く。お念仏は称えなければ、大事なものと聞いているだけでは心の中に種を植えつけることはできない。「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と訳は分からなくても大事なことをさせていただいているという気持ちで、一生懸命ナムアミダブツを称えていただくと自然に南無阿弥陀仏の種が心の中に発芽して大きな草花になり、あるいは木に育っていく。心の中にお念仏が実ってくると一生の宝物になってくる。南無阿弥陀仏を称えるのと称えないのとでは何十年もたってくると大きな違いが出てくる。お念仏のことが分って子供を育てるのと、そうでない子供との違いは出てくるはずです。人間の好き勝手の方面のことばかりに心を汚して如来様より与えられた光明の時間をただうかうかと闇の中に過ごしてしまうことのないようにお念仏を称えて下さい。

若奥様のオルガンで「仏はいつもやわらかに」を皆で歌いました。

(私事)

残暑の厳しい日、ある所へ主人と二人でいくことになり、付近までは知っているので気楽に出掛けました。駅でなまじ略図を見てしまって、同じ距離ならボケ防止にもなると通ったことのない左の道へ曲がったのが運の尽き?でした。右になら15分で着けるはずなのに…、聞く人もなく電柱の番地を頼りにウロウロ。何でこういう羽目に?これは道順を聞かず、見当付けていけば着くだろうと思ったのがいけなかった。お念仏も、自分勝手にしないで弁栄聖者がお導きくださったことをそのまま信じてお念仏に励んでいくように聞いてはいるけれどこのことなんだなあとしみじみ思いながら55分もかかってやっと着いた時には心底まいっていました。

一週間後また同じようなことがありましたが、今度は先方様が電話で道順を詳しく教えて下さったのを私が聞いて主人に伝え行ってもらいました。初めての所なのに迷わずスーッと行けたそうです。やっぱり…。弁栄聖者がお導き下さったことをそのまま信じてお念仏を称えるように…というのはこういうことなんだなあと思いしっかりお念仏を称えなければ…と思ったことでした。又、「日本の光」など読んでみようと思いました。

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