光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成22年5月

内藤 規利子

西蓮寺の門をくぐると右に八重桜、左に椿、思わず「うわあ!きれいトンネルだぁ!」と言っていました。本堂の前には枝垂桜が咲き始め何種類もの椿がとてもきれいでした。小四の孫娘にカメラを渡して「八重桜を撮ってきて!」と頼むと私には考えられないアングルで撮ってきて「なかなかやるじゃない」と感心しました。帰る時若奥様に、妹は絵手紙を描くからと真っ赤な椿を一枝いただき、見ていた小二の孫娘は「私にも……」と。「どの色がいい?」と聞かれ、赤白の染め分けを一枝いただいて喜んでいました。3月28日、大田敬光上人ご指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

浄土宗の御経本、礼拝儀、お彼岸ということで般若心経を皆でおあげしました。

三つうまく続けて、まとまってお称えできるということは普通はなかなかできないが、ちゃんと称えていただけるのでありがたいことです(小学生の子達も入っています)。この頃はお勤めをするということが皆の気持ちとだんだん離れて別のことをやっているように世間ではなっているが、本当は音楽のような形でうまく称えられると心が落ち着いて身の引きしまる思いがします。お勤めの中に一番大事なものが込められています。

「一枚起請文」も皆でお読みしました。若奥様のオルガンで「いかなる日にも」「降誕讃歌」「灯」をうたいました。

ここからは内藤の思っていることです。

昨年暮、妹が大きな風呂敷いっぱいに光明会の本を包んで私宅に来ました。「○○さんのお兄さんに本を送ろうと思うんだけどどれがいいと思う?」と。○○さんのお兄さんという方は今は亡き母が50年ほど前、ほんの少しお会いしただけの方で、その時母はお念仏をするようにおすすめしたらしいのです。私の消えていた記憶を呼び戻したところ少しその方のことが思い出されました。その方は今は80歳になられ、今でも宮大工をされているとのことです。この頃になってから「自分みたいに仏教のことを知らない者がこんな仕事をしていてもいいのだろうか?」と思い、仏教の勉強をしてみようと思った時、50年前にお念仏をするようにすすめられた母のことを思い出し、弟さんの○○さんを通して、妹に打診があったのです。二人で相談して「これがいいんじゃない」と数冊選び「これは差し上げます」。「これはお返し下さい」とお送りしたところ「熟読して必ずお返しします」とお電話があったそうです。「今、一生懸命熟読してるんじゃないの?」と妹は言っていました。妹と「どの本がいいだろうか?」と選んでいる時、「これすごくいいことが書いてあるよね、読まなくちゃいけないね」というのが何冊もあり「積ん読」だった本もあり、読めばよかったと反省しました。妹はその方に「ひかり」誌をお送りしているそうです。

私の母は生前人様にとてもお念仏をおすすめした人でした。私には到底真似はできません。母は「私は渡し船の船頭さんだ」(お念仏を人様におすすめすること)と言っていました。昔ある方に「渡し船 花屋は蝶を 連れて乗り」(自分も人様も一緒にお念仏しましょう)の句を教えていただいて感心した私は花屋になって蝶を連れて彼の岸へ行きたいと思いましたがなかなか思うようにはいきません。母に「花屋は蝶を連れて乗り」の話をしたのですが、母はやっぱり船頭さんに徹したようでした。母の蒔いたお念仏の種が50年もたって芽生え育っているようで私はとても嬉しく思っています。お念仏の大きな花が咲きますように……。

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