内藤 規利子
西蓮寺の庭は緑が深くなり紫陽花が咲き、「さてこれからどんな色になるのかな?」という若い紫陽花も沢山ありました。池のほとりには萩が咲き、赤い葉の紅葉があり、若い竹が数本青空に向かって高く伸び、さわさわと風にゆれとてもさわやかで、しばし見とれておりました。
5月30日、大田敬光上人ご指導で例会が開かれました。下記はその時のご法話の一部です。
浄土宗のお経本と礼拝儀を皆でおあげしました。
ご法話の後、若奥様のオルガンで「いかなる日にも」と「灯」を歌いました。(「灯」は高音が皆で低音は上人が歌って下さって二部合唱でした)。また、「Anicca-gatha」(無常偈)を原語で上人が歌って下さいました。私達はお手上げでうたえませんでした「慣れればそのうちにうたえるのかなあ?と思いました。
どんなものも常なるものはない。出ていっては消えていく泡のようなものばかり、生じては滅びていくということが分かった人こそ、世の中移りゆくなあ・・・と思えば、つまらないことにとらわれて「あぁ残念だなあ」とか「しまった!」というようなことで夜も眠れないということはないでしょう。悪口を言われたからと腹を立てて「彼奴がこう言った」などと夜中じゅう起きていても、相手はしっかり眠っていたということになるとアホみたいなことになる。「あぁこんなことは知らないから言っているんだ」と思うくらいにしておけばよい。「私はありがたい所で生かしてもらっているからそんなことぐらい気にせんでもいいわ」ということになる。それを南無阿弥陀仏という言葉で受け取らせてもらうと何でもないということになる。そういうことが本当の幸せなんじゃないかということになる。変なものにとらわれることはない。常でないことがこの世では当たり前のことで、病気になることもあるけれどまた良くなることもある。心から安心していれば治るものは治っていくんだから心配することはない。南無阿弥陀仏の教えを頂いていくことが大事ということがここに込められている。
と訳して下さいました。
(ここからは内藤の思っていること)
お茶所静岡県のある小学校の生徒は水筒に日本茶を入れて学校へ持って行くので風邪を引く子が少ないと何やらで読んでお薬の嫌いな私は「喉が痛い」「ちょっと寒い」というような時はすぐに熱い日本茶を飲みます。
過日家に来ていた嫁が「風邪を引いたみたい」と言うのでこれは大変と早速熱い濃いめの日本茶をいれて「これを飲んでみて」と渡すと、飲んでしばらくすると「治りました」と言う。やっぱり効くんだ風邪に日本茶。
ある日夜中に目を覚ますと喉が少し痛い。「しまった!風邪を引いた…」お茶を飲まなくっちゃ。すぐに起きてポットのお湯を器に入れると熱くない。「これではダメだわ」と電子レンジで10秒チン。熱くなったお湯に時間の貴重なことを教えられ無駄にしている時間を少しでも減らさなければ…と思いました。“我以外皆我師”と聞いてはいるけれど人ばかりでなく物にもよく教えてもらっています私です。