光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成23年1月

内藤 規利子

西蓮寺の銀杏はまだ緑。でも千両の実は赤くなっていて「きれいですね」と若奥様に言うと、「赤くなると鳥が来るんですよ」と。なるほど鳥は暇?だからいつも見ているんだ。玄関には何やら珍しいものが・・・。側に行ってみると「バナナの赤ちゃんだ!」と思いました。お上人様が「これは『ばしょう』なんですよ」と。何かと珍しい物があるお寺さんです。

10月21日 大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。礼拝儀と浄土宗のお経を皆でおあげしました。弁栄聖者のお慈悲のたよりを訳しながらお読み下さいました(四十三番でした)。

私達の行く先はどこへ行くのだろう。私達の命はやがておしまいになる時が来る。先の先まで考えると心配になるけれども仏様は本々いらっしゃるからお膝元へ帰るだけでちゃんと守って下さるから心配することはないですよ。

如来様は此の世が終って未来に於いてお救い下さるばかりでなく、本来、如来様には三身一体と言って法身(生みの御親)報身(救いの御親)応身(お釈迦様)と分かれてはいるものの本々一の如来様だから法華経にも三界は吾ものにしてその三界の中にある人々生き物すべてのものは吾子とおっしゃって天地万物も基本は如来法身の規則によって行われているので我々もその御力によって生まれ活かされているのである。実に天地万物のあらゆる備えを以て我々をいかして下さるその目的は何の為であるかといえば此人間の一生に於いて報身如来の光明を受けてこの精神を大ミオヤの思いに叶うような心にさせて下さるためです。

如来様は私達のたましいの本の大おや様で此人間界には難業苦行の修行をさせるために出して下さったのです。たとえば財産家の子供が唯楽に飲食の生活ばかりなら学業も修行もいらないのですがそれでは人間の資格が備わることができない。また何の苦行もしなければ親の御恩もわからないのである。如来の大おやさまもいかに御慈悲が広大でも始めから御膝もとで自然の喜び楽しみを受けたのでは喜びも楽しみもわからない。それでこの人間界に出して艱難困苦の修行もでき、又荒錆も取り除いてそうして清く楽しい御許に帰る御許に帰る時は初めて大ミオヤの深い御慈悲も深く感ずることになるのである。

だから朝枝嬢よ、人間は一生が学校のようなものであるから大ミオヤの思いにかなう人になるようにそのつもりで日々働いて自分のやるべきことはやっていきなさいよ。如来様の御試験は日常の何をする業の中にもあることを忘れないようにして下さい。

若奥様のオルガンで「いかなる日にも」を皆でうたいました。

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