内藤 規利子
西蓮寺は若葉がとても美しく紫蘭(しらん)などが咲きちょっと遅めではありましたが幾鉢もの君子蘭(くんしらん)が咲き本堂の横の部屋から見える木に白と赤紫の花が・・・「あれ何だろう? 見たことないよ」。若奥様に伺うと「『はこれうつぎ』です」と。図鑑を見ると白から赤紫に変わると書いてありました。
5月22日、大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
浄土宗のお経の中に『礼拝儀』を所々入れてお称えすると、とてもありがたく意味がよく分かります。
「至心に回向す」。御回向とは仏様の方に向かって、今お称えさせていただいた内容全部そっくりそのまま仏様に差し向けさせていただきますというような気持ちで、私自身のため修業させていただいているのだけれど、それがすなわち仏様の方に向かってお参りさせていただいたことになるんです。仏様の方からは「いやいやあなた達のやっていることはちゃんと認めてよくよく働きを見ているからね」と両方がお互いこちらからお参りすると、向こうがより一層大きな力で「ちゃんとあなた達を守っているよ』というそういうお誓いがある。
浄土宗なんかでは誓願と言うんですね。仏様がそういうことを願っておられる。向こうからこっちをちゃんと幸せにしてあげたいということを、仏様の方から願っておられる。皆さんの方へ「私はこういう気持ちで皆のことを思っていますよ」という大きな願いを掛けていて下さる。それを掛けられている私達の方は仏様のおっしゃるように、ちゃんとさせていただきたいのでどうぞよろしくお導き下さいということになるんです。
私達もこれからもよろしくお願いしますという願いを込める、仏様の方からはその何倍も私達を思って下さる。そういうお気持ちをいただいているということをありがたく思っています、というような気持ちを、幾重にも向こうもこちらも重ね合わせてお勤めがされるのです。願わくは此功徳を以てとは徳を積んでということ。仏様に向かって仏様が「こうやりなさいよ、そうすればお悟りの方へ近づけるからね」ということでお念仏させていただく、お経をあげさせていただく、そういうことが功徳です。
だんだん一人一人が心の中に良いことが積み重なってくるとこの功徳が平等一切に施すという自分だけのものにしておかないで、人様のためにもなるような働きにさせていただきたいという気持ちで平等一切に施すという言葉になっていくんですね。同じく菩提心を発して一人一人が悟りを求める心を起こしてそして安楽国にやがては往生させていただけるでしょう。私達のやっているお念仏、始めは真剣にやっているつもりがいつの間にやら気持ちが仏様の方へ向かずに気が散ってくる。やっているやら、やっていないやら分からなくなってしまうような気持ちでいて「これでお念仏をやっていますよ」と言ったって充分やっていることにはならない。皆これでいいかな?と思いながら「お念仏はやらなければいけないからやっていますよ」ということになっている。むずかしいんですよここの言葉が・・・。けれど、そういうことを仏様は充分知っていて、そういうあなたですからちゃんと見通していて、「いやいや今日は雨の中お寺へなかなか来られないのに来て下さったし、そのお気持ちは殊勝なことです。しっかりやって下さいよ」とこういう願いを込めて見守って下さっているに違いないんですね。
八百年前の歌をそのままオルガン伴奏でうたえるようになっているという「三尊磯」を若奥様のオルガンで皆でうたいました。