光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成24年1月

西蓮寺例会報告

内藤 規利子

西蓮寺にはピンクの山茶花、石蕗が咲き赤と橙色の千両が色付いていました。11月20日大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

『礼拝儀』と浄土宗のお経を皆でおあげしました。弁栄聖者「お慈悲のたより43」をお読み下さいました。

ゆく末のめぐみとばかりおもいにき
もとより本のみおやなりしを

如来さまは此世おわりて未来に於て救い下さるばかりでなく、本来如来さまには三身一体と申して法身報身応身と分かれたるものの、本々一の如来さまなれば法華経にも三界吾有衆生は吾子と仰せられて天地万物も基本は如来法身の則によりて行われて居るので我々も其御力によりて生れ活あるのである。実に天地万物のあらゆる備を以て、我々をいかして下さる其目的は何の為にてあると申ば、此人間生涯に於て報身如来の光明を受けてこの精神を大ミオヤの思召に叶うような魂にさせて下さるためにて候。如来さまは衆生のたましいの本の大おやさまにて、そして此人間界には難行苦行の修行させんが為に出して下されたのであります。たとえば財産家の子供が唯楽に飲食の生活ばかりならば学業も修業もいらぬはずなれども、それでは人間の資格が備わることが出来ぬ。また何の苦業もせざれば親の御恩もわからぬのである。如来の大おやさまもいかに御慈愛が広大にても始から御膝もとにて自然の快楽をうけたのでは快楽も何ともわからぬ。依って此人間界に出して艱難困苦の修業も出来、またあらさびをも取りのぞきて而して清き楽しき御許に帰るときは、初めて大ミオヤの深き御慈悲も深く感ずることになるのである。

されば朝枝嬢よ。人間は一生が学校であるから大ミオヤの思召にかなう人に成るように其のつもりで日々の事をはらくように為し給え。如来さまの御試けんは日常の何を為す業の中にもあることを忘れぬようにし給えよ。

「お慈悲のたより」は弁栄聖者が誰かに対してお出しになったお手紙でこのお手紙がひとつの教えとなって残っているということはとてもありがたいことです。弁栄聖者が亡くなられて百年近くになるけれどもこうして読ませていただくと今でも弁栄聖者がそこにおって下さるような感じが致します。お手紙は誰かに対してできるだけ分かるように大事なことを書いておかねばいけないと思って出されたものですからどういう方かということもはっきりしていてよけいによく分かる。これは朝枝というお嬢さんに出されたもので人間は一生涯学校にいるようなものだからやることすべてが大ミオヤの思召に叶うような心掛けでいなければいけないよと言って下さっている。いただいた方は生き方の一番大事なところをちゃんと方向づけて下さっているように感じて喜こばれたに違いない。

弁栄聖者のお言葉が尊いものだということは今のお手紙の文章でわかるのです。弁栄聖者の残された言葉は悟りを開いた人の言葉ということでまとめられたものだとすれば弁栄聖者がお経を残されたという受け取り方もできそうな箇所ですね。心して弁栄聖者のお手紙をしっかり内容を分かるように何回も読んで受け取らせていただかなくてはいけないということですね。

内藤のことです。

昨年私が大病した時「元気になったら京都へトロッコ列車乗りに行こうね」と娘が言ってくれ「紅葉を見に行こう!」と二人で出かけました。念仏道場でお念仏をさせていただいて法友お二人と嵯峨野へ行きました。弁栄聖者が「紅葉は如来様の衣がえですよ」とおっしゃったそうですが「大河内山荘」の紅葉は赤黄オレンジで緑とあいまって素晴らしく思わず「きれいだね!」を連発。それにも増して映画俳優の大河内伝次郎さんが関東大震災に遭遇してからの念願であった持仏堂を建て撮影の合間に念仏し瞑想し映画創り庭創りをされていたとのことで感動しました。雨の予報で傘を持っていったのにポツリとも降らず法友お二人との道中も楽しく浦島太郎になったような楽しい旅でした。

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