西蓮寺例会報告
内藤 規利子
西蓮寺には赤の大輪の椿が咲き、何と大きい!と思って手を広げてみると手いっぱいの大きさにすごいなぁと思いました。「枝垂の源平桃」、「ひらどつつじ」が咲き始め、他にも咲いてきれいでした。
4月22日、大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
礼拝儀と浄土宗のお経を皆でおあげしました。「転重軽受」という文を説明しながらお読み下さいました。難病のため足を一本切断したお坊さんの文です。長いので略します。
私は血管が閉塞して血が通わなくなり指先から壊疽を起こしてしまう難病で、考えられる治療法は全部したけれど足の痛みに襲われるので、その痛みから逃れるためには足の一本ぐらいどうなってもいい。将来のことなど考える余裕もありませんでした。
そこへ沢山の他人様がいろいろな治療法を教えに来てくれました。「どこそこのお医者さんに行ってみたら」「こんな薬がある」「鍼が効く」「お灸が良い」祈祷師まで紹介してくれる人もいました。「こんな時、新興宗教に迷ったりするんだなぁ」とつくづく考えさせられました。私はお医者さんから、壊疽の部分を切り落としていくより方法がないことを聞き覚悟していました。痛みは経験のある人でないとわかりませんが、とにかく痛い!手術が終わり麻酔から覚めた時、膝から無くなっている右足を眺めた時にはただ涙が溢れて仕方がありませんでした。手術が終わって日がたつと、精神も安定し、痛みからも逃れることができましたが、今度は将来に対する不安で落ち着かない毎日となりました。「法務は大丈夫だろうか」「社会復帰はできるだろうか」次から次へと不安と焦りが襲ってきます。法然上人のお言葉に「仏の御力は念仏を信ずる者をば、転重軽受といいて宿業限りありて重く受けき病も軽く受けさせ給う。されば念仏を信ずる人は例えいかなる病を受くれどもこれ皆宿業なり。これより重く受くべき仏の御力にてこれほども軽く受けるなり」「もし仏や神にお祈りして病気が治り命を延ばすことができるのであれば、だれ一人として病気になったり死んだりする人はおりません」「念仏する人は素直に病を病として受け止め、病を浄土への道案内と感謝し念仏申して往かねばなりません」「正しく受くべきは受け念仏の中に養生していくならば、転重軽受の御利益を受けることができますよ」と。
私は「そうだ、この病を素直に受け取ろう」「病気と仲良くしていこう」と決心しました。足を切断したとはいえ、幸い私は膝下10㎝が残っている、口も大丈夫。何と有り難いことだろうと素直に転重軽受の御利益を受け取らせていただこうと決意しました。膝下10㎝が残っているということが、退院し法務に布教にと活動するに従い、どれだけ有り難いことかを痛感させられました。念仏の積み重ね、それがやがてすべてのことを喜んで受け取らせて頂き、健康もよし病気も又よしとありのままを受け取って毎日を送っていきたいものです。
法友が毎日桜を下見に行って下さり、ちょうど見頃という日に娘と京都へ桜を見に行きました。JRのポスターにもなったという『毘沙門堂門跡』。樹齢百数十年の巨木で枝張りは30メートルにもおよぶという枝垂桜と「そめいよしの」が満開でとてもきれいでした。逆遠近法で描かれた狩野益信の襖絵も面白く、へえ!こうなってるんだ!他の絵の人の目は「横の方へ歩いてもずうっと自分を見ているんですよ」との説明にへえ!と思っていると法友が「如来様もこれと同じなんですよ」と。そういえば弁栄聖者が御絵像でお念仏を称えることをすすめられたのは、「横の方に行っても私達を見ていて下さるから・・・。」とおっしゃったということを思い出しました。JRのポスターにこんな言葉が・・・。
今励ましを必要とする人がいたら私ならここに連れてきてあげたい。頑張れ、元気出せなんていうよりも・・。
とありました。紅葉のポスターもあり紅葉も見たいと思いました。時代劇の撮影もよくあるそうです。あちこちのお宅に桜が咲いていて、途中の桜並木と菜の花の共演が見事でした。法友宅でいろいろおしゃべりに花が咲き、又々浦島太郎になりそうな楽しい小さな旅でした。
奥様のオルガンで「いかなる日にも「降誕讃歌」「灯」はお上人様が低音で二部合唱でした。