西蓮寺例会報告
内藤 規利子
西蓮寺の庭は緑が深くなりアメリカディゴの真赤な花が空に伸び元気の素を配っているようでした。いろんな紫陽花が咲き昨年の銀ネムが大きくなっていました。赤い夾竹桃がきれいでした。6月17日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
礼拝儀と浄土宗のお経を皆でおあげしました。弁栄聖者お慈悲のたより(一三一)の半分を説明しながらお読み下さいました。(以下意訳)
よく考えてみるに法身の大御親の規則は昔から今まで変わりなく矢張り昔も梅雨に入れば天かきくもり気に湿りをもち折々雨は降り勝ち、この恵みの露にすべての植物も育てられる慈悲の乳と思えばありがたく感じられます。この頃の知恩院のうっそうとした緑葉を眺めれば何となくおもしろみを覚えます。又万物は皆法身如来のお蔵の中から出されあらわれたものとすればすべての中に如来の御力と御恵みとが見いだせないということはありません。あらゆる物の備えをもってすべての子等を育てて生活させて下さるも落ちつくところは報身如来の無量光にして一切の霊性を育て永遠の生命と円満な霊格にするための手順と思えば実際に大御親の広大な慈悲を感じると共に吾等子供は是非ともこの度は無量光の御恵みによって霊の卵は孵化し、真の仏子としての面目をあらわすべき身の上とならざるを得ません。そのためには唯親子対面のできる念仏三昧です。勢至堂のそばに座って西山の群雲の際より漏れ出づる日の影(光)を見る時に常に恋いしたう大御親の慈悲の面影が偲ばれ少しの間称名の声がもれ出ました。この頃は新潟の北の潟波静かにして自づと三昧の状態に入ったように鏡のように水面にすべてのものがありのままにうつるように大悲の面影ははっきりあらわれます。きっと皆様の心はさながら浄土にいるような感じとなるでしょう。
弁栄聖者は今までの浄土宗の教えとはちょっと違うように思われて異安心などという気持ちを持たれたこともありますがそんなことは全然なく非常に弁栄聖者の深い心がこういう御手紙にこもっております。弁栄聖者御自身のことを思うにもこの御文章は大きな示唆を我々に考えさせられるものを持っているような御文章ではないかと思われます。今の時期の御文章としてお味わい下さればありがたいと思います。
奥様のオルガンで「仏はいつも柔らかに」を皆でうたいました。
ここからは内藤の事です。
中学生になって吹奏楽部に入った孫娘は土日も長期の休みも無く部活に行かなければならなくなりお寺参りもできなくなってしまったとのこと、赤ちゃんの頃から(幼い時からのお寺参りが大事)と教えられて皆様に御迷惑をおかけして申し訳ないと思いつつも毎月お寺参りをしてきたのにこれには私もがっくり。娘は孫娘に「これからはお参りできませんからと如来様にちゃんとごあいさつしていくんだよ」と言っていました。私は「仕方がないから家でお念仏するといいよ」というと「そうしようと思っている」と。「もうお寺では会えないのかぁ……」とあきらめたのに例会の日孫娘が来ている。「えっ!どうしたの?」びっくりしている私に娘が「テストの前で部活が休みだから来れたの」と説明してくれました。娘が学生の時もテスト前でもお寺参りは休んだことがありませんでした。そんな娘が又自分の子もお寺に連れてきたのでしょう。書院で孫娘達がお手伝いしてのお茶の時間には皆さんがいろいろとおしゃべりして話に花が咲きます。片付けは何時は大人の方々がして下さるのですが皆さんが用事で早くお帰りになって上の子が強行スケジュールのためか「疲れたぁ」と言うので小5の孫娘にお鉢が回ってきて「どうやってやるの?」と聞いて教えてもらいながらお茶碗を洗ってお盆に乗せ得意満面で持ってきました。かわいかったのでパチリ!とカメラに納めました。今日は思いがけない嬉しい一日でした。