光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成24年9月

西蓮寺例会報告

内藤 規利子

西蓮寺は夾竹桃があちこちに咲いていてとてもきれいでした。菩提樹の実がかわいく生っていてその下にはむくげがひっそりと咲き珍しい白い花も咲いていました。焼物の狸が三匹置かれていてあれ!こんな所に狸が・・・。玄関には「かなしいときにはいっしょに泣いてうれしいときにはいっしょに笑おう」の絵入りの標語がありました。

7月22日、大田敬光様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

今月は都合で書院にて御法話がありました。先月と同じお慈悲のたよりをお読み下さいました。この頃は椅子が普通になってしまいましたが、こうして昔どおりのお寺のたたずまいでお念仏の時間を持たせていただけるということはありがたいことですね。光明会の集まりはだいたい木魚で短い時は30分位。1時間2時間それを何回もやるというようにしてとにかく心を落ち着かせる。ここにも書いてありますがそれを念仏三昧という。心をひとつにずうっと落ち着かせる。迷ったような動揺したような状態にしない平生で心を保っていくというそれは深い海の水が遠く見ると靜に表面が平になっているとおい。近くに寄ってみるとそうではないでしょうが、波が全然目立たないような状態に見受けられる。心がそういう状況になっていろんな事で驚いてびく!としたり落ち込んだり、大喜びしたりこんな浮き沈みのある心じゃないところになることを三昧の状態に入ったという言い方で昔の人は言った。弁栄聖者はお経にある言葉をいろんな場面で使われて一番この普段からの心のそういう落ち着きのある状態を三昧の状態だと言ったようにそれが自ずとお手紙の中にも出てきます。梅雨時はうっとうしいような時期になるけれど昔から心の落ち着きを取り戻すには良い時期だというので「安居会」という集まりが仏教の集まりとしてよく行われる。安居とはインドから中国日本にかけて梅雨がある所では非常に仏道修行に良い時期だといってお経の中に良く出てくる言葉です。これがあったためにお盆の行事が生まれてきた。目連尊者が亡くなったお母さんが幸せになっていてくれるだろうと思って深い心で母親を見てみるとお母さんはとても気の毒な境界に落ち込んでいるということがわかってお釈迦様の所へ泣き込んで行った。お釈迦様は「あなたのお母さんもいろんなことがあってそうなられたんであって救おうということになると安居で修業されたお坊様方にお願いして真剣に祈りの気持ちで拝んでもらったらお母さんは救われるよ」とお説きになられた。それで喜んだ目連尊者はそういうことをしてみたらお母さんが極楽浄土へ生まれかわったのがありありと自分の心に浮かび上がってきてお釈迦様の所へ行って「こういうありがたいことになりました」と報告し「それは良かった・・・」ということが広がってお盆の行事が始まったと言われている。倒懸(ひっくり返る)の苦しみを救うのがお盆の行事です。

以下は内藤の事です。

7月。信州安曇野へ「きょうだい」(妹2人弟義妹)で弟の運転する車で叔父の三回忌の法事に行きました。遠くの山々を眺めながら・・信濃の国は十州に境連ぬる国にして・・・とうたっていました。「きょうだい」であちこちよく行ったなぁ・・・揃って行かれるのは何時までだろう・・・。年を重ねた今考えました。普段は会えない親類の方々とおしゃべりし、浄土宗のお経だったのでしっくりして時間が短く感じられました。母には成人した「きょうだい」が4人いるのですが、その戒名が戦死した弟が「安陽院」、姉が「陽光院」、母も「陽光院」。全く関係のない所で付けられているのに何と珍しいことと、自分がいつこの世からいなくなるかは棚に上げておき、叔父はどんな戒名が付くのだろうと、「陽」が付いたらすごいなあと思っていたら「陽」ではなく「月」の「夏月院」でした。全員が「陽」ではなかったけれど、「陽」と「月」の戒名に不思議な御縁を感じました。帰り道父方の叔父伯母のお墓まいりもして有意義な一日を過ごすことができました。

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