光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成25年1月

西蓮寺例会報告

内藤 規利子

西蓮寺は秋も深まり千両が赤くなっていました。千両はお正月に合わせたように実が赤くなり、生け花の添えとしてもよく、なかなかおめでたい実だと思いました。

11月11日、大田敬光様御指導で例会が開かれました。参加者の希望で今日は田中木叉上人がお作りになったお歌で、「現代のお経」にも等しいと言われている「心田田植歌」を皆でうたいました。

金色におう しののめの
けさの光の なつかしさ
うつるおじひの みすがたに
空も心もあさみどり

またとなき日の 今日の日ぞ
わが永遠の わかれみち
歓喜みなぎる 身をささげ
いざやつとめん このひと日
(田中木叉上人)

「育児の歌」もうたいました。御法話の一部です。

お参りすることは大事だけれども、「お参りしなかった時より大分気持ちが変わってきました」ということにならないともったいないですね。山本空外上人の御一生も学者として立派なものがおありになります。空外上人が毎年やっておられた鉢伏山のお別時は、5日ぐらいずつ青年を相手にとか、一般の方を相手にして、愛知光明会はそういうことを10年やっていました。私が担当をやらせてもらって、全国の方々が喜んでずっと集まって下さっていました。10年お世話をさせていただいてよかったことは、光明会のおおよそのことが分かったことです。皆さんが喜んで来て下さってそれを空外上人がようお分かりになって、お話の中に入れて御指導して下さいました。人のつながりが空外上人を通してあったということがわかりました。地方毎の別々のものがたまには一緒になって、皆が仲良う「こういう気持ちでおりますよ」とか率直に話し合うことが大事ではないでしょうか。たまたまお別時でお会い下さることはあるかもしれないけれど、会ってもあの方はどういう方なのか全然分からないじゃないですかねぇ。お互い同志が遠いから行き来しないにしても、機関誌なんか見ると、あの方はああいう事を考えておられる、今はあのようになられたかなあ、などということが分かります。つながりというものをどこかで作るような機会があるといいですね。お互いの率直な気持ちを言って、「そうか、そうか私も一緒じゃ」というような気楽な関係を持ってお互いどうしを親密にするような面をどうやったらできますか・・・

(内藤の思っていること)

私はお別時の参加者で横のつながりがあれば、自分の心の糧にもなることがいろいろ聞かれ、楽しいことも知っています。紅葉の頃、私は「りんご念仏会」に初めて主人と参加させていただきました。あいにくの雨でトボトボと。駅で法友3人と会えてほっとしました。法友に「私は雨の日の外出がいやなんですが、どうですか?」と伺うと、「私は気になりません。雨には雨の風情がありますから・・・」へえ私みたいな凡人とは違うなと感心。外を見るとなるほど・・・。山々の紅葉が霧の合間合間になんとも風情があり、雨の日も捨てたものではないなあとおもいました。夜になって「天気予報」を見ると「3時まで雨」という。ええ~明日も雨かあとあきらめて就寝。朝食前のお念仏に行こうと外を見るとナント。キラキラと光るものが。「あれって星じゃない?」「星だよね」大きな星が瞬いていました。あちこちに雪もあって「こんなに景色のいい所だったんだね」雨のため傘をさして歩くので分かりませんでした。「いやだなあ」と思う暗いことばかりに目を向けていては、せっかくの良いことにも目が行かない。もったいないと思いました。お別時が終わって善光寺にも寄り、赤い紅葉、真黄色の銀杏が瞼に残っています。電車の窓から紅葉を眺めていましたが、そのうち暗くなって紅葉は見えなくなってしまいました。暗くなっても明日になれば夜は明ける。暗い人生だって明日になれば・・・。人生が終わったとしても又生まれ変わる・・・。そんな事を考えながら私の二日間の信濃路の旅は終わりました。

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